なちこライブラリー Nachico Library

なちこが書いた文章の置き場

京都だけ? 6月に食べる和菓子「水無月」

この時期になると、やたらと食べたくなる和菓子、「水無月」。

関東に住んでた時は、見たことも聞いたこともなかった!

京都に来てから初めて知って、食べた!

どうやら、このへんでしか出回らないローカルな食べ物らしいです。

 

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食べたこと、ありますかー?

三角形のういろうの上に、甘く煮た小豆がのってます。

白いのがスタンダードで、抹茶バージョンもよく見かける。

私はもちもちした食べ物が好きなので、とても好み♡ 

 

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水無月」という名前どおり、この和菓子は旧暦6月に食べる慣わしがあったそうで、まぁ詳しくは、興味のある方はググってもらえたらいいんだけど、

参考↓

新暦になった今でも、6月になるとみんな「水無月」を食べるみたいです。

正確には、年の前半の終わりである6月30日の「夏越の祓(なごしのはらえ)」という神事(歳時?)の時に食べる食べ物みたいですねー。

 

とにかく京都では、5月の終わりくらいからどこの和菓子屋でも出始めて、
6月の終わり(つまり今)には、デパートに出張販売のカートが設営されるくらいのTHE・季節物

冬至のかぼちゃ」くらい、食べとかなあかんやつですなw

 

ういろうが黒糖バージョンのもあり、私はこれが一番好きです。
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お店によって、ういろうの甘さや固さ、上にのってる小豆の大きさなんかもちょっとずつ違うので、いくつか食べ比べて、お気に入りを見つけるもよろし♡

 

6月に京都に来る機会のある方は、ぜひとも食べてもらいたい一品です!

 

乾物食材や調味料の新陳代謝(消費のペース)

乾物食材や調味料の新陳代謝って、
みなさんどのくらいなんでしょーかねー?

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動物のお医者さん』の小夜ちゃんばりに「片付け魔」な私wは、
すでに封が切られた食材って、とっとと使い切りたくなってしまうんですよねー。

 

とは言え、一人暮らしだし、
そもそも乾物やら調味料なんかそんなにすぐ使い切るようなもんでもないし、
使い切ったところで、また同じのを買ってくることもわかってるのに、

「終わったー。すっきりー」が味わいたいのか知らんけど、
なぜか、早く使い切りたくてウズウズしてしまう。

 

実家の台所には、使い切ってもらえないまま、とうの昔に賞味期限を迎えた残り物ばかりが溜まってたから(もはや食材とはそういう使い方をするものなのかと思い込みそうになるくらい!)、それを見ていた反動なんでしょうかね・・・?

 

冷蔵庫を持たない生活をしてるのも、たぶん「とっとと使い切るから」っていう性分が関係していると思う。

冷蔵庫に入れて保存するような食材や調味料でも、使い始めてるものだったら、早く使い切りたくてしょうがないのね。

(今これ書いてて、我ながら何故そこまで・・・^^;って思うけどw)

だから、必要なときにそれを出す、ってよりも、それを使うためのメニューを考える、みたいなことが起こりがちで(マヨネーズとおたふくソースが残ってるから今日もお好み焼きにする!みたいな)、
でもそれって、なんか不自然っていうか、本当はその時その時の食べたいと思ったものを食べるのが好きなのに、今手元にある食材や調味料に影響されて、なんかその「今何が食べたいか」を感じるのをおろそかにしてるみたいで、イヤだったのだーーー!

 

冷蔵庫の中に、いつ買ったかわからない食材とか、いつ作ったか忘れたおかずの残りとかがたくさん入ってるのも嫌だから(これは完全に実家がそうだったので、その反動)、冷蔵庫を持っていた時も、できるだけ残さないように買ったり使ったりするようにしていて、そうすると、常に冷蔵庫がスカスカ、みたいなことになるんですよ。

そうなると、もう「これって、24時間電気使ってこのスペース冷やしてる意味あんのかな?」みたいになってきて(冬場は特に、ほとんどの食材が冷蔵庫に入れなくても大丈夫だし。しょっちゅうコンセント抜いてたよ!)、そこにたまたま友人が「Airbnb始めました!小さい冷蔵庫誰かください!」みたいなことFacebookで言ってたんで、「へー!じゃあ、あげるよ!」って感じで、思い切って手放すことにしたんでした。

 

「冷蔵庫なし生活のコツ」にも書いたけど、

夏場でも、スーパーで買い物をした時に、保冷用の氷をある程度もらってきて、その氷と一緒にクーラーバッグに入れておいたら、一晩なら、熱帯夜だったとしても傷まずにもつしね。

あとは、基本は、「食べたい時に、食べたい分だけ、食べたいものを入手する」。

これです。

近所のスーパーが、MY冷蔵庫です^^

 

おっと! 話がずれた。

乾物の話でした。

今回、失業して、まーここんとこ約1ヶ月半くらい、1日あたり260円しか使えない縛り(固定費は除く。玄米は備蓄がある)の貧乏ごっこwをする機会を得たんですが、それを経験したことで、以前買った乾物食材とかがけっこう片付きましてん!

これが、割と氣持ちがよかった!

何しろ、買い物に行ったところで変える食材が限られてるので、ちょっとさみしくなりがちなメニューに彩りを添えるには、失業する前に買ってあった食材=乾物系をちょいと加える、みたいな解決法しかなくてね!

基本的に、玄米ごはん&味噌汁なので、出汁をとるための椎茸やら昆布やら鰹節やらはバンバン減ってくしね!

あとは、家にいる時間が多いので、何かと飲みたくなったりして、ティーバッグ系も消費。

 

 この期間に、空けたもの

・干し椎茸

・きなこ

・乾燥わかめ

・焼きのり

・マヤナッツコーヒー(買ってみたはいいが、私あんまりコーヒー飲まない人だからめっちゃ残ってたのが、この機会を利用してガブガブ飲んだ!)

・紅茶(宇治の有機和紅茶)

・黒豆よもぎ茶

ホットケーキミックス

 

そして、現在残ってるもの

かつおの削り節

・とろろ昆布

・角切り昆布(もうだいぶ少ない・・・)

・粉寒天

・ベーキングパウダー(アルミニウムフリー)

 ・実家の自家製梅干

 

だいぶ乾物用の引き出しがスッキリした!・・・のはいいものの、
このまま1日260円生活を続けるとなると、ちょっとバリエーション少なくなってきてキビしーのではー・・・!?

と、思ってたところで、次のお志事が決まりましたー(○´▽`○)エヘー

 

とは言え、お給料出るのは1ヶ月半後!

ということは、まだしばらく貧乏ごっこwは続く!

というわけで、みなさま!

よかったら、乾物、送ってくらさい♡笑

って、オチでしたw

醤油とごま油も、お待ちしております♡

あと、オーブンないんだけど、ベーキングパウダーを消費するアイデアがあったら、ぜひ教えてほしい~!(圧力鍋でケーキとか焼けるのかしら!?)

 

※「ほしい物リスト」、公開したつもりでいたんだけど、リンク先が間違ってたみたいで、自分のリストに跳べるようになってませんでした!

修正しました!

 

「な」のことだま

『ことだま50音 「名前」占い』っていう本がありまして、

ことだま50音「名前」占い

ことだま50音「名前」占い

 

友人の友人でもある水蓮さんて方が書いてるんですけど、これがおもしろい!

 

いわゆる画数とかでみる姓名判断とは違って、名前の「音(おん)」から、その人の「使命・役割」をひも解く、新しい姓名判断。

「あ」から「ん」まで、ひらがな50音のひとつひとつに、それぞれ意味があり、「ことだま」が宿ってるだって。

著者は、5000名以上の名前を鑑定して(2014年時点)、「名前」という「特定の音」で呼ばれ続けているうちに、その音の持つ「ことだま」の働きが「使命・役割」として目覚める、という結論に達したそうな。

 

そのエッセンスは、こちらのブログからも味わえます。

無料ことだま50音「名前」占い|水蓮オフィシャルブログ「ことだまの法則」

私も、最初はたまたまこのブログを発見して、「何これ!すごい当たってる!」と思って面白くなって、本を購入したんでした(友達の友達だとわかったのは、その後!うれしかった!)

自分の友達の名前と顔を思い浮かべながら読んでいくと、これがめっちゃ面白いんだわ!「わかるわかる!当たってるー!」みたいなのと、「へー!もしかしてそういう面もあるんだー」みたいなので。

 

なんで今日この話を書こうと思ったかというと、昨日の記事で、私の性質について少し書いたからなんだよね。

昨日の記事これ↓

転職サイトに登録したりする中で、自分の強みや性格を判断してくれるツールを何個か試したけど、

やっぱり私は「慎重派」だし、「計画的(段取り)」の人だとわかったんだよねー。

「用意周到」とも言えるかもしれない。「有言実行」もあるかな?

安全地帯で、隅々まで検討し、微に入り細に入り準備をして、いろんなパターンに対応できるように想定をした上で、満を持してリリースする・・・!

そんな人だもの。

 これって、まさに「な」の音の「ことだま」だよなぁ~と、今朝改めて思ったのですよ。

 

「な」ー 完璧を求める繊細な人

エレメント:火

シンボル:七重の塔

イメージ:成し遂げる

「な」のことだまの特徴

 完璧主義。努力家。理想が高い。「なぁなぁ」が苦手なしっかり者。

「な」の白キャラ
 「な」のことだまをもつ人は、物事を完成させる力を持っている人です。興味のあることや、人に頼まれたことに集中して取り組み、完璧に成し遂げます。理想が高く、自立しています。協調して物事に取り組むよりは、一人でじっくりと深めていくタイプです。責任感がとても強い人です。

「な」の黒キャラ
 一人で何でも抱え込んでしまいます。繊細で傷つきやすく、警戒心が強い面があります。「完璧」にこだわりすぎて、やる気をなくすことも。中途半端が苦手です。

「意地を張らずに素直になること」が、「な」のことだまを持つ人の開運のコツ。

 

どうよ!これ! まさに私!って感じじゃないっすか!?

「完璧」にこだわりすぎて、やる気をなくすことも」とかwww

 

「責任感が強いね」は、すごくよく言われます。「仕事がすごく丁寧だね」も。

取り組み始めた物事(例えば何かの資料作成とか)は、やるからには自分のイメージするベストの形まで持っていきたいし(もちろん締切には間に合わせつつ)、「ま、このくらいでいっか」ってなかなか思えない。
途中で疲れてきて、「は!」と気付いて、そこからは「まぁ・・・このくらいでも・・・」って思うように努力するようにはなってきましたが。デフォルトでは、思いつきもしないんだよねーw

「協調して物事に取り組むよりは、一人でじっくりと深めていくタイプです」も!
そうそう!! 激しく肯く。

自分でも、職人タイプだなーと思います。

小説家には、向いてるかな!?^^

 

このブログを始める時に、

できるだけ、「いい文章を書こうとしない」ことをがんばろうかなと思います(笑)。

思いついたまま書いて、あんまりチェックしないでアップする、みたいな。

なぜそうしたいのかは、また今度書きますね。

って書いたんだけど、それがまさに、こういう性質のデメリットを減らしたいからっていう気持ちなんだよね。

心屋ぢんさんは、「ツイッターかよ」ってツッコみたくなるくらい、軽やかにブログをアップする。誤字脱字もそのまんま。長くても短くても、書いた後に読み返してすらいない感じ。

それって、私にとっては「ありえない!」だった。
と同時に、たぶん憧れもあったし、「え!?それでもいいんだ!?」みたいな目からウロコ感が。

 

なので、最近は「自分の基準で、60点取れてればOK!」って思うようにしてます。

そうじゃないと、エンドレスで推敲とかし始めるんでw

しかも、そういう態度が素晴らしいと思い込んでる節があるんでwww

終わった時にはクタクタだよ^^;

 

何も意識しないでいると、「100点を取るために120点の準備をして頑張り、結果は80点で、周りからは褒められるのに、自分ではたいそう不満足」みたいなことになりがちなので・・・(苦笑)。

ええ、学生時代からそうです^^;

それで得たものもたくさんあるけどね!

失ったものもたくさんあると思うので(しかも損したことに気付いてすらいなかったりして)、これからはバランスよくいきたいなーと思っています。

 

 

誰かに雇われて働くか、自分で自分を雇うか、それが問題だ。(人はもっと楽しく働けるはず)

 

なちこです。

夏至が過ぎました。

陽極まって陰に転ずる。

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半夏生(はんげしょう)

 

ちょっとまとまりなく書きます。

 

貧乏ごっこwに終わりを告げる時が、来たようです。

まだ確定させていないけど、私を必要としてくれる人がいて、新しいお志事にとりかかることになりそうな予感。

 

人生が動く音って、聞いたことあります?

「スーーーッ」みたいな感じの時もあるし、「ガタゴト」とか「シュッッッ!!」とか、いろいろあるんだろうなー。

なんか今回は、「カタカタ カタカタ」みたいな感じかな(なんのこっちゃ)。

 

働かなくても、一応暮らしてはいける最低限のお金がもらえる生活はなかなか楽しかったけど、やっぱり失業給付は「生命維持費」程度にしかならないなーと、改めて感じました。

もちろん、あってくれて本当に助かったし、最低限のお金しかないからこそ「自分が譲れないものって何なのか?」みたいのがわかったり、普段は絶対に置かれないような状況に自分を置いてみることで(1日260円で暮らすとか、10日間電車に乗らないとか)当たり前だと思ってたことがただの思い込みだったんだと気付いたり、とにかく得るものはいろいろあったんですが、

さすがに税金や保険料を払わないといけない時期が来ると、「生命維持費」じゃ足りねーよ!!ってなります(失業を理由に減免申請してさえ、そう感じます)。

7年前(新卒で就職した会社辞めた時)も同じこと思った氣がするわ、そーいえばw

 

前職を辞めた時は、「よし、フリーランスでやっていくぞ」と意気込んだけど、

それに向けて楽しく積極的に動けたかというとそうでもなくて(後々つながっていく種はたくさん蒔いてると思うけど)、

だけど、そんな自分を「ダメだなぁ・・・」と責めるのも違うやろーという確信があって、

可能な限り「やりたいことだけをやる生活」に挑戦しつつ、

どうするのが「今の私」にとっていい選択なんだろう?とひたすら考えてきた日々でした(今も続いてます)。

 

フリーでやっていく自信がまだないので(という言い方は、たぶんダミーで、そう思い込みたい何か別の理由があるんだろうけど・・・少なくとも、意識の上では「まだ自信ない」が一番しっくりくる)、

一旦またどこかで雇ってもらい、気楽に働きながら、フリーになる準備をした方がいいのかなーとかも考え始めて。

 

失業給付を受給するために必要だから始めた求職活動も、最初は便宜的に形だけでも・・・と思ってたけど、自分が考えていたよりも興味を持てる求人はあって(多くはないけど)、受給期間が終了するまでにフリーで身を立てる目処がとても立ちそうにない現状と相まって、「これは!ちょっとマジメに応募してみようかな!」という感じになってきてました。

それはつまり、2月23日(リストラ宣告前夜)に思い描いていたプランに立ち返る、みたいな感覚なわけです。

あの時は、ミュージアムの勤務を週5から週4に減らして、空いた週1で物書きを始めようと思ってた。

 

とは言え、焦って選んで、妥協してしまうのも怖かった。

 

“何かしらの仕事をしなきゃ!早く!”って思うと、判断力が鈍る。

だけど、雇用保険には「個別延長給付」という制度があって、運のいいことに私は、解雇された&正規雇用された経験が少ないので、「それなりに求職活動をしても結果が振るわなければ、給付期間を2ヶ月延長できると思いますよ」(判断するのはあくまでもハローワークの基準)という対象の条件にひっかかったのです。

そんなのあるって知らんかったし!

嬉しい驚き!(糠喜びに終わる可能性も考えて、冷静に喜んどいたけど!)

 

雇われて働くにしろ、自営業でやってくにしろ、

あと1ヶ月以内に決めないといけないと思っていたのが、

あと3ヶ月以内に・・・に変わったわけです。すごい!

そのおかげで、本当に、焦らず、妥協しないで選べた。

「今の私にぴったりの職が、かならずあるはず。どこかに埋もれてるはず」と思って、目を皿のようにして探してました。

まぁ、応募してみて、採用されなかったら、ただご縁がなかったってことで、やっぱりフリーの道行けってことなのかも・・・ってそこでまた考えてもいいしね。 

 

3月に離職した時点で、今後はもう図書館司書はしないつもりだった。

図書館で働くことは好きだけど、このご時勢、この国で非正規で図書館で働くことは、ワーキングプアになることとほぼ同義だから。

図書館やめたの私だ - Togetterまとめ ←こんなのもあるよ

搾取されるのも、自分を安く売るのも、私はもう選べなかった。

よっぽど「ここの図書館が好きだから!」とか(私にとってのミュージアムはこれでした)、生活費は家族が稼いでくれているから、それをサポートするくらいの額が稼げればOK(そして、それが図書館の仕事を通してできるならうれしい)、みたいな場合以外はね。

だから、もうその選択肢はないなー、憧れてた「司書さん」はもう十分経験できたんだと思おう、次のステージに進む時なんだ、って思ってた。

 

だけど、先週私が見つけた求人は、司書という職に対して、きちんとそれなりの対価を払う意志があるように思えたんですよ。なかなか見かけない条件。

これなら、やってみたい!って思わせてくれたのがうれしかった。

そう思ってみて初めて、

「なーんだ、やっぱりまだもう少し、図書館司書をしたかったんだなー、私」って気付いたし。

 

フリーランスの司書」みたいなのも考えたことはあって、

(これ参考記事な→ 「フリーライブラリアン」のすすめ « マガジン航[kɔː]

司書的な思考法や司書スキルを活かした仕事はフリーでもできるけど、

やっぱり図書館司書には、ホームグラウンドとなる施設が必要だなぁと思うんだよね(それがたとえ小さな、動く図書館であったりしても)。

まぁ、その施設に所属してる必要は、ないのかもしれへんけど(つまり、国立国会図書館を自分のホームグラウンドと考える、フリーの司書とか)。

「この図書館の資料に関してなら、まかせてください!」と言えるのが、やはり司書としての矜持だし、醍醐味でもあると思うんです。

 

ということで、

私はどうやらまた図書館に所属する司書として働くことになりそうです(詳細はまた今度)。

 

4月の時点では、実は6/20~7/1は、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加しようかと思って、申し込みをしていたんだよね。

申し込んだ時点でキャンセル待ちで、その後「まだキャンセル待ちの意志がありますか?」といった再確認のメールが来ていたことに気付かず、自動的にキャンセルされてしまったと気付いた時は、「痛恨のミス・・・!!」って感じで本当にショックだったんだけど、

もしもヴィパッサナーに行っていたら、この図書館の求人には出合わず、面接にも間に合わず、私の人生には関係ないこととして、存在しないも同じだったに違いない。

そう考えると、瞑想合宿に行かないことになったのも腑に落ちた氣がしたし、

まだ少し進むことを怖がっているこの目の前に現れた道も、何か意味があるってことなんだろうなーとか思えたりする。

 

とはいえ、

また雇われて、日々の仕事に追われて疲れてしまうかもしれない・・・と思うと怖い。

組織に属するめんどくささばっかにフォーカスしてしまうくらい、また心に余裕をなくしてしまったらどうしよう・・・とか考えちゃう。

 

だけど、それを乗り越える術を、私はもう持ってるんだった、ってことにさっき気付いた。

2012年に、初めてスタッフとして船に乗る時に書いた記事↓

不安はいろいろあるよ。
でも、あってあたりまえだよね。
だって、初めてのことなんだもん。
だから、不安だから…は乗らない理由にはならんかった。

これだっ!

ふーーーーーーー。解決!!(早っっ!)

でもほんと、これですよ^^

 

本当は、残り3ヶ月に賭けて、フリーで食ってく道をとことん模索した方がいいんじゃない? そっちが正解なんじゃない?・・・って囁く声も聞こえる氣もする。

でも、正解なんてないやんな。

しいて言えば、選んだ方を正解だったと思えれば、それが正解になる。だよね。

 

転職サイトに登録したりする中で、自分の強みや性格を判断してくれるツールを何個か試したけど、

やっぱり私は「慎重派」だし、「計画的(段取り)」の人だとわかったんだよねー。

「用意周到」とも言えるかもしれない。「有言実行」もあるかな?

不安に包まれながらの背水の陣スタイルで、いいパフォーマンスが発揮できるとは、あまり思えない。

安全地帯で、隅々まで検討し、微に入り細に入り準備をして、いろんなパターンに対応できるように想定をした上で、満を持してリリースする・・・!

そんな人だもの。

時間かかってもいいし、また葛藤してもいいから、とりあえずお金の心配をなくしてからまた考え始めよう。

 

それから、この貧乏ごっこwの日々を経て、

私は、たぶん、お金を使わないように使わないようにする人じゃなくて、

たくさん稼いでたくさん楽しく使う人なんだろうなーと思った。

だから、「生命維持費」でこまこまやってる場合じゃないんだよ。

稼がないのももったいないし、使わないのももったいない。

やりくりって楽しいし、やりくり上手ってかっこいいと思ってたから、

ってことは、そんなにお金がなくてもやりくりで楽しく生きればいっかって氣でいたけど、

私、気付いたんだわ。

やりくりって、別に、どんなレベルでもできるんだってことに!

つまり、月収10万円でも、やりくりはできるし、

月収1000万円でも、やりくりは楽しめる!!!

なら、私は月収1000万円の方でやりくり楽しみたいわ~♪

って思った。

おーーーー。

 

 

長くなりました。

最後に、タイトルに入れた「(人はもっと楽しく働けるはず)」は、

イケダハヤトさんの言葉です。

最近大好きです。

 

おやすみなさい。

なちこのライフヒストリー その6 会社員・ニート・図書館員2007-2011

ライフヒストリー、つづきです。

最初から全部読んでくれてる人、ありがとう。

その7で終わる予定ですので、もう少しお付き合いください!

その1~その5はこちらー。

なちこのライフヒストリー その1 幼少期1983-1989 

なちこのライフヒストリー その2 小学校1990-1995 

なちこのライフヒストリー その3 中学校1996-1999 

なちこのライフヒストリー その4 高校1999-2002 

なちこのライフヒストリー その5 大学2002-2007 

 

さて、大学を卒業して、会社員になりました。

地元のIT企業で、未経験からのシステムエンジニア(つーか、プログラマやね)。

私がプログラミングを勉強したいと思ったのは、
「世の中、コンピュータで動いてるものはたくさんあるのに、その中で何が起こってどう動きにつながってるのかを私は全く知らない。知らなくても生きてはいけるけど、もしもその仕組みを少しだけでも知ることができたら、自分の見える世界は変わるのでは?」
って、思ったからなのね。

そしてそのとおり、システム開発の仕事をしてみたことで、世の中の見方は少し変わったと思います。
特に、それまで「これはどうしようもないことなんだ」と思っていたようなことが、実は「やり方か頼み方さえわかれば、どうしようもなくなんかないんだ」と思えるようになったのは大きかった。

でも、プログラマの仕事は私には全然向いてなかったわー。

知らないことを知るのは面白かったけど、狭い世界だったなーと思います。

所属していた小さな会社と、出向先の大企業の本社と、両方経験できたのはなかなか良かった。


クルーズを越えたつながりで、ピースボールの仲間たちとよく遊んでたのもこの頃。
毎週のように集まって、フットサルの練習したり、飲んだり。
みんなで車で出かけたりもしたなー。片思いしたりもして、けっこう青春だった!

同じクルーズの友達では、新聞局のメンツがよく会ってた。
(私はブッカーで、新聞はやってなかったんだけど、新聞局長と仲がよかったので)

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この方々は、別に顔出ししても何も言わなさそうだけど、まぁネット社会何があるかわかんないんで一応ぼやかしておきますけどw
この写真見て、関西の「タコパ」に当たるのは、関東ではもしや「餃子パーティー」かな!?と思った。
この人口密度(1Kに12人・・・!※撮影者含む)も、船仲間だからこそやな~って感じがする^^

 

2ヶ月に1回会えるか会えないかだったけど、遠距離恋愛もした。
もともと船に乗る前から友達だった人で、久しぶりに東京に出てきたその人に会ったら意気投合って感じで。

私は、仕事で疲れてた時だったから、誰かとそういう関係になれたことにはけっこう救われる思いだったけど、ちょっと依存気味だったから、メールの返信がないことにすごく不安になったりとかして、あんまり幸せな恋愛じゃなかったかもなーとか、振り返って思う。でも、経験としては、よかったと思う。

 

高校時代と大学時代のところで、姉のことについて書かなかったのは、思い出した時にそれが「実感」だからだと思う。
その頃には、姉がどこにも属さず、働かずにずっと家にいることは、あまりにも当たり前になっていて、特別何かを思わなくなっていたという感じ。

両親は、不登校が始まった当初は、怒ったり叱ったりなだめすかしたりして、なんとか学校に行かせようといていた(と思う)って、その2で書いたけど、それでも姉が行かないとなると、病院(精神科?)に連れて行ったり、フリースクール(?)を探して連れて行ったりして、とにかくあれやこれややってた氣がする。よく覚えてないけど。

両親は、ひととおり思いつくことを姉にやってみた結果、疲れちゃったのか、「すこし待ってみよう」と思ったのか、そのへんは知らんけど、不登校から数年後には、「もう何もしない」っていうスタンスになっていた。

ちなみに、その頃、私はまったくの蚊帳の外。
心配をかけまいと思ってたのか、話してもわからないだろうと思われてたのか、それとも心に余裕がなさすぎて完全に忘れられてたのかは知らんけど、とにかく、姉のことについて、私が何かを聞かされたり、聞かれたり、その話題の中に入れてもらったことは一度もなかった。

当時は、子どもだし、そういうもんかと思っていたけど、大人になって思うのは「そりゃないよ」って感じかな。
でも、まぁ、私も、中学生活・高校受験→高校生活・大学受験→大学生活・海外経験etc.で、自分のことでいっぱいいっぱいだったから、正直お姉ちゃんのことを自分事として考えるなんて無理な話だった(そりゃそうだ。ひきこもりのきょうだいは、まずはとにかく自分の人生を生きてほしいし、自分ばっかり幸せになっていく気がすることを、自分に許してあげてほしい)。

 

それが、就職して、実家にいる時間が増えて、たぶん気付いたら自分自身「大人」になってたのもあって、急に「あれ? このままではなんかやばいんじゃない?」って氣がしたんだったかな。
もしくは、ちょっと時間に余裕ができて「お姉ちゃんのことで、自分に何かできることがあるなら、やった方がいいかもしれない。家族だし」みたいな殊勝なこと思ったのかもしれない。

覚えてるのは、たまたま読んでたビジネス系の新書に、ひきこもりの訪問サポートみたいなサービスが紹介してあって、そういう事業があるってことも知らなかったもんだから「え!こんなのあるの!?これいいんじゃない!?」って思って、親に言ってみたんだよね。「何かしないと・・・!できることはあるはずだよ!?」って感じで。
正直、「親が死んだら私どうすればいいの?」っていう不安が大きかった。

結論だけ書くと、そのサービスを頼んでみることにしたものの、その過程で両親がいかに勉強不足かがわかって心底がっかりしてしまったのと、姉が訪問サポートに全く乗り気じゃなかったので(「どうせ金で雇われてるから来るだけなんでしょ!」っていう姉の拒絶の言葉は、いろんな情報を含んでいて、今考えると興味深い)、特に何の成果もなく、また元の生活に戻ってしまったんでした。

 

私は、そもそも仕事で疲れていたところに、その一件でさらに疲れ、「もう、この家にはいたくない」と思うようになっていた。

そう思わせた一番の要素は、日常的に繰り返される、姉と父の口論。

姉と父は仲が悪くて、ほぼ毎日口喧嘩みたいのをしているのね。
きっかけはいつも些細なことだけど、私が感じるに、姉が大切にしたいことを父がとりあわず、馬鹿にしたり無視したり軽く一蹴したりすることに端を発することが多い氣がする(それを見ていると、私も吐き気がしたりする)。

確かに姉は姉ですべてにおいて子どもっぽいのだけど(私も時にスルーしたくはなる)、だからといって、無下に扱うのはひどい。

姉が、小さな子どもみたいに泣き叫んで汚い言葉で父を罵ると、父もその言葉尻にいちいち反応して、やり返しちゃうんだよね・・・これが、本当に聞いてて苦痛だった。

馬鹿馬鹿しいのに、本人たちはいたって真剣で、毎日のように同じことを繰り返してる。それをほぼ毎日聞かされてみ? 頭おかしくなりそうになってくるよ。

 

結局、親に借りてた約200万円の借金を2年で完済して、その後1年で100万くらい貯めて(ボーナスあったからねー)、当初の予定どおり、会社は3年で辞めた。
最後の方は疲れ切って、若干うつ。


 
2010年4月~ 東京一人暮らし時代。

実家の居心地は本当に悪くて、とてもじゃないけどもういられなかった。
もともと一人暮らしがしてみたかったし、東京で暮らす経験もしてみたかったから、会社に所属してる間に部屋を探して契約して、「もう戻ってくることはない」くらいの悲壮感で実家を離れて(今思い返すとちょっと笑えるけど)、西東京市に引っ越した。


そっからは、本当に働きたくなくて、貯金と失業保険でしばらくニート

たまに友達に会ったりはしてたけど、基本的にはひきこもりな生活だったかな。

心が疲れていたから、何をするでもなく過ごす日が多くて、一日のうちで出かけたのが図書館だけだったって日もけっこうあった。
私にとって図書館は、やっぱり居心地がよかった。

そんな日々を過ごす中で、ある日ふと、ひきこもりについての本を読んでみようか・・・そういや読んだことなかったな・・・と思って読み始めたのね。
そしたら、なんと、あんなにめんどくさいと思っていた姉の氣持ちがわかってわかってしょうがなくて、本読みながらめちゃめちゃ泣いたんだよね。。。

そして、自分が「アダルトチャイルド」であることに気付いた。

姉と両親の関係がうちの家族の問題なのだと思っていたけど、そうじゃなくて、私自身と両親の関係にも問題があったのだ・・・と初めてわかった。
姉は、それを表現するためにひきこもりになったし、今も表現し続けているんだって。

人生の転換期その2って感じでした。

その頃読んだ本のリストはこちら↓

その後新しく出た本もたくさんあると思うけど、今でも参考になる本がたくさんあると思います。

 

2010年11月、全然働きたい気持ちにならないのに、お金が尽きてきて、働かざるを得なくなり、「んーー、ここなら万が一受かってしまったとしても、働いてもいいかな・・・」と思えたのが、新宿にある大学の図書館アルバイト。

受かっちゃいましてw、
生活費ギリギリの収入だったけど、人にも仕事にも恵まれて、働くリハビリにはいい環境でした。
図書館という世界の奥深さや、図書館学(図書館情報学)という学問分野があるということを知ったのも、この時だった。

 

その図書館で働いてる時に3.11が起こって、
生活が変わっていった。

 

その7につづく。

「現実2.0」って何!?

高校・大学のライフヒストリーを書けたところで、
私がとても尊敬している高校・大学時代の同級生で、いつも素晴らしい示唆を与えてくれる須藤峻くん(峻ちゃん)のブログ記事を紹介したいと思います。

 

というのも!

たまたまこの記事読んだんだけど、
私が前に書いた「いまの私が、『世界』とか『人生』って何だと思っているのかという話」を、もっとわかりやすくシンプルに書いてるじゃーないかーーー!!!

って思ったので。

 

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さすがやわ!

「現実2.0」って言い方も、センスあるなぁと思います^^

 

 私が書いたのはこちらです。

なちこのライフヒストリー その5 大学2002-2007

ライフヒストリー、つづきです。

だいぶ長くなってきたね~。

その1~その4はこちら。

 

大学時代。

ちょっと長くなりそやな・・・。シンプルを目指します。

 

まず、大学入学からの半年間は、本当に暗かった(たぶん、鬱っぽかったかも)。

片道2時間半の電車通学と、慣れない大学生活、都会の空気。

高校の時から抱えてた、自分の信仰に対するもやもや。

ものすごく楽しかった高校生活が終わってしまった喪失感。

 

そんな中でも、高校の時から勉強したかった韓国語をとうとう勉強し始めることができたのは、すごくうれしかったなー!

語学のクラスでは、仲のいい友達をつくれたし。

 

クリスチャンサークルに入ったけど、いろいろ考えた末に、「自分はもう信じてないな」とわかって、1年生の夏休みにクリスチャンをやめた。

これを決心するのは、私にとっては、今後一切日本語を使わずに生きていくと決めるのと同じくらいの勇気が要った。それくらい、生まれた時からそこにあって、自分の生き方・考え方を規定してきた「真理」を根こそぎ捨てるような体験だったから。

その後もしばらく「これでよかったのか」と思ってビクビクはしていたけど、すっきりしたのは本当だったし、今は何も後悔してない。

 

国語学習にハマる。

大学1年の終わりに、韓国語学留学を決意する。

 

大学に入学したらすぐに、ピースボートの事務所(ピースボートセンター。通称ピーセン)に行って、ボランティアスタッフ登録をしたんだけど、最初は全然なじめず、駅からは学校と反対方向だったこともあってなかなか足が向かず、なかなか思ってたようには通えなかったなー。

「夢に向かって行動できてない自分」を責めて、更にへこんでた。

 

真面目に授業を受けすぎてて(要領よくできず、友達も少なく)、単位落とすんじゃないかって、本当に恐怖だった・・・。

 

高校時代の校内メル友Tは、進学した大学は別々だったけど、よく夜のドライブに誘ってくれて、どこに行くでもなくただ車を走らせて、また人生の話をしてた。

最初は、これって、恋愛に発展すんのかな?しなのかな?とか思いながら、でもたぶんお互いがそれを考えるのもめんどくさいと思ってた氣がする(それぞれに、恋人がいた時期もあったし)。

好きかどうかはおいといても、その関係をすごく大事にしてくれてたんだな・・・ってのは、もっとずっと何年も後になって気付いたんだ。自然にそうなったように思ってたけど、そいつが誘ってくれてなかったら、私から誘ったりはしなかったんじゃないかな。気付いた時は、ありがたかったなぁと思った。

 

大学3年の春に、韓国留学に行く時期とピースボートに乗る時期を決めたら、締切ができて、とうとうポス貼り(船賃割引を貯めるためのポスター貼り)に本腰を入れられた。

ピーセンに通い始めてからは、大袈裟だけど、「人生変わった」かもしれない。

それくらい、出会ったことのない種類のエネルギッシュな人がたくさんいた。

 

あと、大1の終わりくらいから地元の居酒屋でアルバイトしてたんだけど、そこになぜか、中3の時に私をふった男友達が新人として入ってきて(!)、それがきっかけでなんかいい感じになり(まわりにのせられた感もありw)、今度は向こうから告られて付き合うことに♡

人生初彼氏。

こんなこともあるんだな~としみじみ思った。

 

2005年の4月~9月まで、韓国・ソウルの高麗大学校付属の語学学校(オハクタン)に語学留学。

カルチャーショックもいろいろあったけど、充実した半年間だった!

まーソウルでなんとか暮らしていけるくらいには、身に付いたかな。韓国語。

それって、そんなに高いレベルじゃないけどもw

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私は遠距離恋愛のつらさはそんなに感じなかったけど(自分がしたくてした留学だったし)、クリスチャンだった時の思想の名残で、婚前交渉(結婚前のセ ックス)はすべきじゃないっていう価値観があって、だけどやっぱりしたい自分もいて、その葛藤が本当に苦しかった。

結局その彼とは、日本に帰ってきてすぐ別れてしまったんだけどね。

 

2005年9月に韓国から帰ってきて、人生初ルームシェア

ピーセンの近くに住んで、船賃の割引額を貯めるべく、とにかくポスターを貼りまくった(しかし全クリには届かず・・・残念)。

 

そして、2005年12月~3月。

大学を休学して、ピースボートの地球一周クルーズに参加。

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南アフリカ。ケープペンギンのコロニー。「うひょ~!ペンギンいすぎ!(笑)」

 

この旅を一言で表現するのは難しい!

その後の人生のすべてに影響を与えるだけの経験をして、
「人生は、楽しんでいい」ってことを知った旅だった。

会ったことのない種類の人に、たくさん出会った。

今までしたことのないことに、たくさん挑戦した(失敗や恥ずかしい思いも、たくさん)。

本音で話せる友達が、たくさんできた。

今も、もちろんその頃の友達とはつながってて、いつ会っても、まるで船の上に戻ったかのように話すことができます。

大好きな人たち。

 

船を降りて、ピースボートのスタッフになろうかと思ったんだけど、韓国留学その他で親に借金があったので、それを先に返しちゃおうと思って(&高学歴の新卒カード一応使っておこうかと思いw)、地元のIT企業に就職を決めた。

お金もらいながらプログラミングの勉強ができるのもおいしいなと思って。

とっとと借金を返して、貯金を貯めて、3年くらいで辞めて、また何か好きなことしよう!と思ってた。

 

その6につづく