誰かに雇われて働くか、自分で自分を雇うか、それが問題だ。(人はもっと楽しく働けるはず)
なちこです。
夏至が過ぎました。
陽極まって陰に転ずる。
半夏生(はんげしょう)
ちょっとまとまりなく書きます。
貧乏ごっこwに終わりを告げる時が、来たようです。
まだ確定させていないけど、私を必要としてくれる人がいて、新しいお志事にとりかかることになりそうな予感。
人生が動く音って、聞いたことあります?
「スーーーッ」みたいな感じの時もあるし、「ガタゴト」とか「シュッッッ!!」とか、いろいろあるんだろうなー。
なんか今回は、「カタカタ カタカタ」みたいな感じかな(なんのこっちゃ)。
働かなくても、一応暮らしてはいける最低限のお金がもらえる生活はなかなか楽しかったけど、やっぱり失業給付は「生命維持費」程度にしかならないなーと、改めて感じました。
もちろん、あってくれて本当に助かったし、最低限のお金しかないからこそ「自分が譲れないものって何なのか?」みたいのがわかったり、普段は絶対に置かれないような状況に自分を置いてみることで(1日260円で暮らすとか、10日間電車に乗らないとか)当たり前だと思ってたことがただの思い込みだったんだと気付いたり、とにかく得るものはいろいろあったんですが、
さすがに税金や保険料を払わないといけない時期が来ると、「生命維持費」じゃ足りねーよ!!ってなります(失業を理由に減免申請してさえ、そう感じます)。
7年前(新卒で就職した会社辞めた時)も同じこと思った氣がするわ、そーいえばw
前職を辞めた時は、「よし、フリーランスでやっていくぞ」と意気込んだけど、
それに向けて楽しく積極的に動けたかというとそうでもなくて(後々つながっていく種はたくさん蒔いてると思うけど)、
だけど、そんな自分を「ダメだなぁ・・・」と責めるのも違うやろーという確信があって、
可能な限り「やりたいことだけをやる生活」に挑戦しつつ、
どうするのが「今の私」にとっていい選択なんだろう?とひたすら考えてきた日々でした(今も続いてます)。
フリーでやっていく自信がまだないので(という言い方は、たぶんダミーで、そう思い込みたい何か別の理由があるんだろうけど・・・少なくとも、意識の上では「まだ自信ない」が一番しっくりくる)、
一旦またどこかで雇ってもらい、気楽に働きながら、フリーになる準備をした方がいいのかなーとかも考え始めて。
失業給付を受給するために必要だから始めた求職活動も、最初は便宜的に形だけでも・・・と思ってたけど、自分が考えていたよりも興味を持てる求人はあって(多くはないけど)、受給期間が終了するまでにフリーで身を立てる目処がとても立ちそうにない現状と相まって、「これは!ちょっとマジメに応募してみようかな!」という感じになってきてました。
それはつまり、2月23日(リストラ宣告前夜)に思い描いていたプランに立ち返る、みたいな感覚なわけです。
あの時は、ミュージアムの勤務を週5から週4に減らして、空いた週1で物書きを始めようと思ってた。
とは言え、焦って選んで、妥協してしまうのも怖かった。
“何かしらの仕事をしなきゃ!早く!”って思うと、判断力が鈍る。
だけど、雇用保険には「個別延長給付」という制度があって、運のいいことに私は、解雇された&正規雇用された経験が少ないので、「それなりに求職活動をしても結果が振るわなければ、給付期間を2ヶ月延長できると思いますよ」(判断するのはあくまでもハローワークの基準)という対象の条件にひっかかったのです。
そんなのあるって知らんかったし!
嬉しい驚き!(糠喜びに終わる可能性も考えて、冷静に喜んどいたけど!)
雇われて働くにしろ、自営業でやってくにしろ、
あと1ヶ月以内に決めないといけないと思っていたのが、
あと3ヶ月以内に・・・に変わったわけです。すごい!
そのおかげで、本当に、焦らず、妥協しないで選べた。
「今の私にぴったりの職が、かならずあるはず。どこかに埋もれてるはず」と思って、目を皿のようにして探してました。
まぁ、応募してみて、採用されなかったら、ただご縁がなかったってことで、やっぱりフリーの道行けってことなのかも・・・ってそこでまた考えてもいいしね。
3月に離職した時点で、今後はもう図書館司書はしないつもりだった。
図書館で働くことは好きだけど、このご時勢、この国で非正規で図書館で働くことは、ワーキングプアになることとほぼ同義だから。
図書館やめたの私だ - Togetterまとめ ←こんなのもあるよ
搾取されるのも、自分を安く売るのも、私はもう選べなかった。
よっぽど「ここの図書館が好きだから!」とか(私にとってのミュージアムはこれでした)、生活費は家族が稼いでくれているから、それをサポートするくらいの額が稼げればOK(そして、それが図書館の仕事を通してできるならうれしい)、みたいな場合以外はね。
だから、もうその選択肢はないなー、憧れてた「司書さん」はもう十分経験できたんだと思おう、次のステージに進む時なんだ、って思ってた。
だけど、先週私が見つけた求人は、司書という職に対して、きちんとそれなりの対価を払う意志があるように思えたんですよ。なかなか見かけない条件。
これなら、やってみたい!って思わせてくれたのがうれしかった。
そう思ってみて初めて、
「なーんだ、やっぱりまだもう少し、図書館司書をしたかったんだなー、私」って気付いたし。
「フリーランスの司書」みたいなのも考えたことはあって、
(これ参考記事な→ 「フリーライブラリアン」のすすめ « マガジン航[kɔː])
司書的な思考法や司書スキルを活かした仕事はフリーでもできるけど、
やっぱり図書館司書には、ホームグラウンドとなる施設が必要だなぁと思うんだよね(それがたとえ小さな、動く図書館であったりしても)。
まぁ、その施設に所属してる必要は、ないのかもしれへんけど(つまり、国立国会図書館を自分のホームグラウンドと考える、フリーの司書とか)。
「この図書館の資料に関してなら、まかせてください!」と言えるのが、やはり司書としての矜持だし、醍醐味でもあると思うんです。
ということで、
私はどうやらまた図書館に所属する司書として働くことになりそうです(詳細はまた今度)。
4月の時点では、実は6/20~7/1は、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加しようかと思って、申し込みをしていたんだよね。
申し込んだ時点でキャンセル待ちで、その後「まだキャンセル待ちの意志がありますか?」といった再確認のメールが来ていたことに気付かず、自動的にキャンセルされてしまったと気付いた時は、「痛恨のミス・・・!!」って感じで本当にショックだったんだけど、
もしもヴィパッサナーに行っていたら、この図書館の求人には出合わず、面接にも間に合わず、私の人生には関係ないこととして、存在しないも同じだったに違いない。
そう考えると、瞑想合宿に行かないことになったのも腑に落ちた氣がしたし、
まだ少し進むことを怖がっているこの目の前に現れた道も、何か意味があるってことなんだろうなーとか思えたりする。
とはいえ、
また雇われて、日々の仕事に追われて疲れてしまうかもしれない・・・と思うと怖い。
組織に属するめんどくささばっかにフォーカスしてしまうくらい、また心に余裕をなくしてしまったらどうしよう・・・とか考えちゃう。
だけど、それを乗り越える術を、私はもう持ってるんだった、ってことにさっき気付いた。
2012年に、初めてスタッフとして船に乗る時に書いた記事↓
不安はいろいろあるよ。
でも、あってあたりまえだよね。
だって、初めてのことなんだもん。
だから、不安だから…は乗らない理由にはならんかった。
これだっ!
ふーーーーーーー。解決!!(早っっ!)
でもほんと、これですよ^^
本当は、残り3ヶ月に賭けて、フリーで食ってく道をとことん模索した方がいいんじゃない? そっちが正解なんじゃない?・・・って囁く声も聞こえる氣もする。
でも、正解なんてないやんな。
しいて言えば、選んだ方を正解だったと思えれば、それが正解になる。だよね。
転職サイトに登録したりする中で、自分の強みや性格を判断してくれるツールを何個か試したけど、
やっぱり私は「慎重派」だし、「計画的(段取り)」の人だとわかったんだよねー。
「用意周到」とも言えるかもしれない。「有言実行」もあるかな?
不安に包まれながらの背水の陣スタイルで、いいパフォーマンスが発揮できるとは、あまり思えない。
安全地帯で、隅々まで検討し、微に入り細に入り準備をして、いろんなパターンに対応できるように想定をした上で、満を持してリリースする・・・!
そんな人だもの。
時間かかってもいいし、また葛藤してもいいから、とりあえずお金の心配をなくしてからまた考え始めよう。
それから、この貧乏ごっこwの日々を経て、
私は、たぶん、お金を使わないように使わないようにする人じゃなくて、
たくさん稼いでたくさん楽しく使う人なんだろうなーと思った。
だから、「生命維持費」でこまこまやってる場合じゃないんだよ。
やりくりって楽しいし、やりくり上手ってかっこいいと思ってたから、
ってことは、そんなにお金がなくてもやりくりで楽しく生きればいっかって氣でいたけど、
私、気付いたんだわ。
やりくりって、別に、どんなレベルでもできるんだってことに!
つまり、月収10万円でも、やりくりはできるし、
月収1000万円でも、やりくりは楽しめる!!!
なら、私は月収1000万円の方でやりくり楽しみたいわ~♪
って思った。
おーーーー。
長くなりました。
最後に、タイトルに入れた「(人はもっと楽しく働けるはず)」は、
イケダハヤトさんの言葉です。
最近大好きです。
おやすみなさい。