なちこライブラリー Nachico Library

なちこが書いた文章の置き場

なちこのライフヒストリー その2 小学校1990-1995

ライフヒストリー、つづきです。

その1はこちら。

 

小学生時代。

まーとにかくシャイだったなーと思う。

父親の知り合いの若いお兄さんがうちに泊まりにきた時に、お客さん珍しくて楽しいし、お兄さんもかっこよくて何かおしゃべりしたいんだけど、何を話したらいいかわからなくて、でも何を話したらいいかわからないなんて恥ずかしくて言えなくて、「ちょっと待ってて」とか言って自分の部屋に戻って、別にすることないからタンスの取手を触ってから戻ってくる(我ながら何してるんだろ・・・)ってことがあったのを覚えてます(笑)。 

 

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 「なっちゃんは頭がいいね」は、よく言われた。たしかに学校の勉強には苦労しなかった。クラスでも成績はいつも上のほうだったし。テストや宿題で嫌な思いをした記憶がほとんどない。

でも、太ってて、体型にコンプレックスがあったから、体育の時間は好きじゃなかったな。逆上がりは結局一度もできなかったし、走るのは常にビリだったし。友達につられてミニバスもちょっとやってたけど、ひたすらしんどくて全然向いてなかった。

まぁ、体型・シャイな性格・運動音痴のコンプレックスを、勉強ができることでカバーしていたとも言える。

 

ピアノを習ってた(これは高2くらいまで続く)けど、先生が厳しい人で好きじゃなくて、練習もほとんどせず、毎週教室に通うのが苦痛だった。。。

上手く弾くための練習じゃなくて、楽しく弾く方法を教えてくれる先生だったら、また違ったんだろうな。

楽譜を読めるようになったり、ソルフェージュ(音楽理論)の基礎は身に付けることができてたり、今でも簡単な曲なら練習すれば弾けるだけのスキルは残ってるから、習っててよかったなとは思うけどね。

 

姉が中学1年生から不登校(その当時の言葉だと「登校拒否」)を始めた。

私はその時小学3年生で、クラスが学級崩壊してたり、自分自身もいじめられてたりしたから、あんまりよく覚えてないんだけど。

ただ、姉は小学校の頃からちょっといじめられ気味だったし、私としては「そりゃあ・・・」みたいな気持ちもあった気がする。

親は、怒って、叱り付けたり、無理矢理連れてこうとしたりしてた気がするなぁ。

その当時としては、それが一般的な反応だったんでしょう。

その時家にいて自分が何を考えていたのかは、本当に思い出せない。

たぶん、つらかった。

 

初めて生理が来たのが小学4年生の時。

知識としては知ってたし、母から使い捨てのナプキンの使い方も教わったけど、けっこう戸惑った。

ちょっと汚い話で申し訳ないんだけど、最初の頃、使い終わったナプキン(もちろん月経血で汚れてるやつ)を、トイレのサニタリーボックスに捨てることができなくて、自分の机の引き出しの中に溜め込んでた(1ヶ月だったのか?2ヶ月だったのか?覚えてないけど)。

おそらく異臭がしてきて、母親にバレて、片付けられたけど(バレた時は、ちょっとホッとしたような気持ちだったかも)。

姉に向いていた親の気持ちを、自分に向けるための行動だったのか?

今でも思い出せる当時の私なりの理由は、「親がトイレ掃除をする時に、私の捨てたナプキンを見てしみじみ『あの子も生理が来るような歳になったのねぇ・・・』って思うのを想像したら、ぞっとするほど嫌だった」というもの。

あれは、何だったんだろう? 大人になりたくなかったのかな・・・。

未だに意味づけ仕切れない体験。

 

セーラームーン」と「幽☆遊☆白書」が大好きだった。

将来の夢は、フィギュアスケーターか漫画家。

でも、周りの大人からは「なっちゃんは、大きくなったら学校の先生になるんでしょ?」とか言われて、そうか、自分は学校の先生になるんだな、とかも思ってた。

自分をいじめから助けてくれた先生の影響もあったかな(今考えると、その先生も体罰とかしてたんだけどね・・・)。

 

本を読むのが好きになったのは、小学校の頃から。

絵本も漫画も読んだし、図書室に置いてある物語の本が好きで、いろいろ読んだ。

「チョコレートのたねあげます」っていう本がめっちゃ好きだったのを覚えてる!

チョコレートのたねあげます (現代の創作幼年童話 (3))これだ!

隣町の小さな図書館に通うのも好きだった。

親と一緒に本屋に行くと「好きな本をどれでも3冊買ってもらえる」といううちの独自ルールがあって、講談社のティーンズハートっていう少女小説の文庫レーベルは必ずチェックしてたな~。特に小林深雪さんのロマンチックな小説が大好きだった!

小6くらいになると、夢のひとつに小説家も加わった(これは今でも続いてる夢)。

 

小5の時に、「あだな禁止事件」。

たぶん子ども時代に一番わかりやすく理不尽だったこと。

旧ブログに書きました↓

 

小4~小5にかけて、一番仲のよかった友達がいた。

学校では、一輪車乗りながら「グルグル」の魔方陣を書いたり、家に遊びに行って掘り炬燵で「ハイスクールミステリー学園七不思議」見たりして、しょっちゅう一緒に遊んでたんだけど、けっこうキツい物言いをしたり、万引きしたものを自慢してくるような子だったので、次第にうざったくなってきてしまったんだよね。

で、ある日電話で話してる時に、今度一緒に買い物に行こうと言われて、私はつい「買い物くらいたまには一人で行けば!?」って強く言ってしまった(私は、小6で横浜とかまで一人で買い物に行くような子どもだったので・・・)。

そっから気まずくなって、結局中学生になっても元の仲には戻らずだったなー。

関係の修復方法も知らず。ほんと不器用だった。誰かに相談するってことも知らなかった。

 

初めて男の子に告白したのは、たぶん小6のバレンタインデー。

口では言えなくて、ラブレターを書いた。ふられちゃったけど。

この頃から、文面で伝える方が得意やったんやなぁ(笑)。

 

全学年1クラスずつの小さな小学校だったので、全員幼馴染みみたいな感覚だったんだよね。

「卒業したくないなー」って思ってたのを覚えてます。

 

 

小学校時代も、日曜日は母に連れられて教会に通ってた。

母が教会学校の先生だったということもあり、そもそも学校でも優等生キャラだったこともあって、教会学校でもずっと優等生な感じだったなぁ。

だってさー、子供向けの教材とかって、すぐに答えわかるようにできてるし、大人がどういう答えを言って欲しがってるかわかっちゃうんだもん。

形式的な茶番をやってるのか、私が表面的に言ってることを本気で信じてるのか、わかんない大人ばっかりだったなー。

そうそう、「子どもだまし」や「子ども扱い」がすごく嫌いな子どもだった。
だから、今でも、自分が子どもに接する時には「子どもだまし」や「子ども扱い」になってしまってないかにすごく気を遣う。

日曜日の午後は、母親は教会の奉仕活動で忙しくてかまってもらえなかったので、教会内でヒマをつぶすか、歩いて10分くらいのところにあるおじいちゃんちに行って時間を過ごしてた(教会は家から車で20分くらいのところにあって、自力では帰れなかったので)。

 

その3につづく

なちこのライフヒストリー その1 幼少期1983-1989

1983年7月2日生まれる。

 

生まれも育ちも神奈川県小田原市(・・・と言うことにしてるけど、実は生まれた病院は隣町なので、ちゃんとした占いとかしてもらう時に出生地を知らせる場合は、足柄上郡松田町って言う)。

2人姉妹の次女。姉は4つ上。

 父親は、中学校の社会科の教員(姉が生まれる前は、東京の出版社に勤めてたらしい)。

母親は、元中学の体育の教員で、たしか姉を産んだ時にはもう辞めてたとか。

母は敬虔なクリスチャンで、私はお腹の中にいる時から毎週日曜日は教会に通ってた。

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一番古い記憶・・・たぶん3歳くらい。母と一緒に山の中の畑に行って(山に土地がある本家から借りてたみたい)、母が畑仕事をしている時に、私は土で階段を作って遊んでたってことかな。段々畑みたいな感じで、二段になってる畑だった。

 

小さい頃は、どちらかというとおとなしい子どもだったと思うなー。

保育園では、粘土で何かをつくるのが好きだった。「お弁当」とかつくってた、そういえば。

紙芝居を見るのも好きだった。お昼寝と給食も好きだった。

こうして思い出してみると「友達と一緒に何かして遊ぶのが楽しかった!」みたいな記憶ってあんまりない。プールで泳ぐのも、ひとりが楽しかった。

園庭で「ゴレンジャーごっこ」をした時も、何が一番楽しかったって、なんとかレンジャーに変身する前の、「基地で何かの調査をしている隊員」風に、ジャングルジムの中を管制室(?)に見立てて、キーボードをカチャカチャ叩いてる真似をするのが、最高にカッコよくて楽しかったんだよー!!!(笑)

保育園の送り迎えの時に、ママチャリの後ろの席で風に吹かれるのも、とても好きだったなー。

卒園アルバムに書いた将来の夢は、「バレリーナ」。

 

姉がいたというのが大きいと思うけど、文字の読み書きを覚えるのは早かった方だと思う。

 

余談だけど、「1989年」って、自分の中でちょっとだけ特別な年だ。

なんでかっていうと、「1988」っていう数字を、その年を表す数字としてリアルタイムで見た覚えがないけれど、「1989」っていう数字は、リアルタイムで見ていた覚えがある。つまり、それまでにも目には映っていたはずなんだけど、その年に初めて「西暦」っていう概念を獲得したってことなんだろうね。

 

その2につづく

【定点観測】いまの私 20170620

今の自分を書いておく。

 

ほぼ毎日家にいる生活!

全然苦にならない。

あ、でもたまに友達に会ってしゃべると「あー!やっぱ定期的に人と会ってしゃべらないとダメだー!」って思うw

ただし、本音でしゃべれる人に、1週間に2人くらい会えれば、もう十分幸せかも。

 

モーニングページ、散歩、筋トレを日課にしたいと思ってる。

全部できる日~~ふたつできる日~~ひとつだけできる日~~どれもできない日、まだ全部のパターンがあります。

 

1日260円生活が板についてきた。

1本63円の紙パックのジュースを買ってきて、寒天で固めて食べるのがマイブームw

乾物入れの引き出しの中で持て余してた粉寒天が、どんどん消費できるのも気持ちいい。

 

失業給付をもらうために求職活動をする必要に迫られて、求人を見ていると、

ごくたまに「おっ!?面白そうかも・・・」と思えるような、仕事を見つける。

フリーで働いていく自信がまだないってのもあって、

しばらくまた雇われて、ある程度の安定収入を得ながら独立する準備をしようかな・・・っていう選択肢も考え始めた。

未知の世界につっこんでいく勢いとかエネルギーが、今はちょっと足りないかも。

でも、雇われて働くと、毎日の仕事と移動と生活に流されちゃう可能性もあるから、ちょっと怖くもある。

そうね、また、疲れてどんどん後回しにしちゃうんじゃないかって、怖いんだなぁ私。

だから、雇われるにしても、妥協しないで、できるだけ自分にとって楽な道を選びたいと思う。

楽しい負荷はOKだけど、ごきげんでいられなくなるストレスは、本当に要らない。

そんな都合のいい仕事があるのか?と、過去の私(の亡霊みたいなやつ)は言うけど、

あるかないかじゃない、見つけるか見つけないか(出現させるかさせないか)だよ。

 

イケダハヤトの本がめっちゃおもしろい。

『新世代努力論』と

『年収150万円で僕らは自由に生きていく』と

『まだ東京で消耗してるの?』を読了。

感想とか、いろいろ思うところをブログに書きたいけど、まだ書けないでいる。

 

将来どんなところで暮らしたいかとか、子どもは何歳くらいで産みたいかとかを、割と具体的に想定してみて考えるようになってきた。

今までの人生で、こんなに具体的に考えたことがなかったから、自分でもちょっとびっくりしたりして。

でも、20代の前半とかから、こういうことを考えて生きてる人もいるんだよなぁ・・・って思うと、なんかもう違う人種にしか思えないっていうかw

思い通りにいくかいかないかはそこまで重要じゃなくて、思い描くことが、次の「目の前の選択」につながって、思い描かなかった場合だとたどり着けなかったはずのところにいつの間にかたどり着いてる・・・みたいなのが、大事なんだろうなー。

 

本当に、「やりたいことだけやる」「やりたいことしかやらない自分を許す」って、すごく勇氣がいるし(日常の、ほんのちょっとしたことでもね)、常に意識してないとすぐに無意識に自分を追い立てちゃうし、反省しなくてもいいところで反省してしまうし、罪悪感を感じる必要がないところで感じてしまう。

集中力とか、強い意志みたいなのが必要だよ。

そういう、実験中。

いや、練習中、かな。

 

最近なんとなくわかってきた自分。

・書くことは好きだけど、書かされるのは好きじゃない。

・人に教えることはできるけど、別に教えることが好きなわけじゃない。

・人前で話すことはできるけど、別に人前で話すことが好きなわけじゃない。

・特に親しくもない人としゃべることが仕事の多くの時間を占めるような職業は、無理だー。

・手を抜くのが苦手。抜き方がわからない時もあるし、抜いたら嫌われるんじゃないかって怖くて抜けない時もある。

・お金とモノは少ないけど、時間と友人は多い。たぶん、持っている情報や経験も、少なくはないはず。自分の「資産」の話。

・心に余裕があるのなら、家事は好き。というか、暮らしの空間を整えるっていうことが好きなのかも(家にいる時の自分は、『動物のお医者さん』の小夜ちゃんばりに“片付け魔”な気がする。いいんだか悪いんだか・・・)。

 

 

髪の毛切ろうかどうか迷ってる。

 

超簡単ふわふわココナッツパンケーキ

なちこです!

 

朝からパンケーキなぞを焼いてしまいました!

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おしゃれ!w

 

卵も牛乳(豆乳)も使ってないのに、めっちゃふわふわにできたので、思わずブログに書いております。

 

粉は、市販のホットケーキミックス

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スーパーの製菓材料コーナーで売ってる一番安いやつ。

ほんまは、添加物あんまり入ってない、国産小麦のホットケーキミックスが好きやねんけど、ただいま絶賛「貧乏ごっこ」中なのでw、これしか買えない縛りで。

 

※1日260円で生活しています!

 

卵も、前回ホットケーキが食べたくなった時には4個入り99円のパックを買ったんだけど、なんかもうどう考えてもストレスフルな環境で育って卵産みマシーンと化してる鶏さんたちから生産されたであろう卵だし、なんつーかこう、エネルギーが感じられなくてねー。

心からホッとする食べ物にならなかったので、次に作る時には同じ卵を買うのはやめとこうと思いました。

買ったからには感謝していただきましたけども。

 

で、まぁ、卵を使わずに作るっていう選択肢もあるわけで、ふっくらはしないけど、もうその線でいっか、と思っていた。

ホットケーキというよりは、水分多目にしてパンケーキにすれば、モチモチ食感が楽しめるしね。

 

次に考えるのは、牛乳(もしくは豆乳)を使うか?ってとこ。

別に水でも作れなくはないので、貧乏ごっこ的にここは水でいっとく!?という選択肢もあり。

しかし、やはり、卵も入ってなくて、牛乳(豆乳)もなしで作るのは、なんか味気なくないか!?

うーん。

 

そこで!

登場したのがこいつです!

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ココナッツパウダー!(の残り)

知り合いにもらったタイ土産。

水で溶くとココナッツミルク(ココナッツクリーム?)ができるよーという商品。

 

水で溶いて飲んだり、少量の水で練ってペースト状にしてパンに塗ったりしてみたけど、なーんか「ココナッツミルクもどき」にしか思えず(駄菓子みたいな感じ)、ちょっと持て余していた。

 

なんかさーモコモコするんだよねー。

え?伝わらない?モコモコ。

 

「これ、たぶん、お菓子に入れた方が合うな」と直感的に思い(てか、もしかしたらそもそもお菓子用なのかもしれない)、

「おお!ホットケーキミックスあるやないかい!」ってことで、ほんと思いつき&残り物片付けちゃいたい欲求で、ココナッツパンケーキにしてみることにした。

 

作り方は超簡単。

ホットケーキミックス1袋(200g)に

ココナッツパウダーの残り(たぶん30gくらい)を混ぜて、

それに水250~300ml(テキトー。好みで。多目のがモチモチする)を入れて、混ぜる!

そしてフライパンで焼く!!

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話変わるけど、貧乏をホットケーキで乗り切るという発想が、魔女の宅急便ぽくてちょっと笑える(*´∀`)

いや、別にホットケーキだけで乗り切ってるわけじゃないんやけど…w

 

卵を入れなかったので、モチモチぺたっとしたパンケーキになるかと思いきや(チヂミのぺたっと感を想像してもらえたら)、これがなんと!ふわふわやねーん!

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おそらく、ココナッツパウダーの中に、ふわふわさせるのに役立つ助材的なものが入っているのではないかと思われる。

(モコモコしてたのは、空気がいっぱい入ってたからだったのね…。確かに、ココナッツミルクというよりは、ココナッツ風味のあぶくを食べてるような食感でしたわ^^;)

 

日本語で書いてないからよくわからんけど。

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ということで、次にココナッツパウダーと出合う日は遠そうですが(自分で買うとは思えないし)、誰かの役に立つかもしれないので、書いておきました!

 

「ココナッツパウダー 使い方」とか

「ココナツパウダー 余り」とかで

検索して来てくれた方、ありがとー!(笑)

朝どれキュウリGET!(*≧∀≦*)

散歩にでかけた。

森に着く直前の住宅街で、ふといつもと違う道を通ってみた。

筋一本の違いだけど、初めて通るところ。

 

そしたら、なんと!

キュウリを発見!!!

手ぶらで出たので写真は撮れなかったんだけど

「朝どれキュウリです。ご自由にお持ちください」って書いてある小さな箱の中に、めっちゃ新鮮なキュウリが3本!!!Σ(゜ω゜)☆

まだトゲトゲしている!!!

 

きゃーーー!

いいのー!?

もらうー!

てか、昨日の夜、スーパーで1本39円のキュウリを諦めて、27円のもやしを選んだ私ですよ(*≧∀≦*)笑

今日も実は、散歩から帰ったら、冷やし中華を作って食べようと思ってたところでしたよ?(о´∀`о)

テンション上がる上がるw

 

箱は、庭先に置いてあった。

小声で「いただきまーす」と言って1本だけもらった。

で、そのお家のお庭をちょっとのぞいたら、家庭菜園の手入れをしている方が見えたので、「おはようございまーす!キュウリいただきました!ありがとうございます!」と声をかけたら、「ああ、どうぞどうぞ、持っていってー!」と爽やかなお返事がー(*≧∀≦*)

 

ありがとう。

ありがとー!

ええ朝やー(о´∀`о)✨

 生かされているー!

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もやしとワカメとしいたけととれたてキュウリ。

充実のヘルシー冷やし中華になりそうです。

 

日課

YES!!

今日は、「とうとうこの日がやってきたー!」って感じ!

 

何かと言うと、

日課にしたいと思っている

「散歩(ウォーキング)」

「筋トレ」

「モーニングページ(書く瞑想)3ページ」が、

全部できたーーー!!!

 

どれも、ひとつひとつは大したことじゃないように思えても、一日の中で全部やろうとすると、なかなかできないんだわ、これが。

 

散歩 : 50分くらい(途中で、5分間瞑想)
筋トレ : 丁寧にやるなら1時間くらい
モーニングページ : 1時間くらい(1ページだけとかにすれば、20分くらい)

 

それで、ここ1ヶ月間、あーーー今日も散歩とモーニングページはできたけど筋トレできなかったぁぁ(>д<)とか、散歩と筋トレはできたけどモーニングページができなかったー(´ω`;)とか、そんな日ばっかりだったのだよ。

 

自分を責めたりはしないように気をつけつつも、やっぱり「こうだったらいいのにな」っていう理想があると、どうしても現状と理想を比べちゃって、なんとなく「はーーぁ…」っていう空気に(勝手に)なりがちなのも本当だよね。。。

 

けど、今までやっていなかったことを習慣にしていくのは時間がかかる場合が多くて当然だし、しかもそれを3つも同時進行でやろうとしてるのだから、まぁ、3日坊主を何回も何回も繰り返しながら、気づいたら全部毎日できるようになってたやー(о´∀`о)っていうくらいのゆるさでもいいのかな・・・それらを習慣にしたいって思ってることを忘れなければ・・・とも思いながら過ごしてた1ヶ月でもあったので、今日が記念すべきその「気づいたら」の1日目になったのが、とてもうれしい。

 

たぶん(というか絶対w)、3歩進んで2歩下がる的な感じで、今後もできる日もあればできない日もあるって感じで進んでいくと思うけど、そうやって、だんだん毎日全部できる日が増えていくといいな~。

 

仕事をしている時なら、この習慣付けに取り組むのは自分にとってはかなり難しいことだと思うから(てか、たぶん無理)、この機会に習慣付けてしまって、また仕事する時期が来た時には、もう「やらないと気持ち悪いからやる!」ってなくらいに生活の一部になっていて、仕事とも無理なく両立できるようになってるといいな~・・・ってか、なってることでしょーう!^^

「自分ってほんとダメだな…」とか「こんなことしてる場合じゃないのに…」って思う時ほど、自分を大事にする時かも。

なちこです。

今日は4時台に目が覚めちゃった。
布団の中で、まだ半分寝ているような意識状態でまどろんでいる時がめっちゃ好きです。
そのまま二度寝することもあるけど、なんかもう起きちゃおっかなって気分になる日もあり、どっちもステキですねー。
今日は、起きちゃおっかな、でした。

とはいえ、しばらく布団の中にはいたんですけど。

時間を見ようと手に取ったスマホFacebookを開いたら、フィードがなかなか見応えあったので、ずんずんと見てました。
その一方で、「せっかく早く目覚めたんだから、あれしたら?これしたら?せっかくの貴重な朝の時間がもったいなくない?」みたいな声が、頭のどっかから、する。

朝じゃなくても、こういうことって、けっこうありません?
休日の昼間とか。

起きて、顔洗って、お湯を沸かしてたら、ふとこんなことを思いました。

 

「自分ってほんとダメだな…」とか「こんなことしてる場合じゃないのに…」って思う時ほど、自分を甘やかしてあげる必要があるサインなのかもしれない。


心に余裕がある時って、誰かを責めるモードにはならないと思う。

ちょっと先の未来のことすらも考えなくて、「今、この瞬間」を楽しめてる。

 

この記事に書いたことともつながるんだけど、

叱咤激励することによって、やる気が出てくる確率って、そんなに高くないよね?

むしろ、「早くやりなさい!」って言われると、やろうと思ってたことでも、やりたくなくなったりする。

それって、言う人がお母さんでも上司でも自分自身でも、 同じなんじゃないかなぁ。

 

「なんか今これをしてる場合じゃない気がする…」って感じる気持ちは、本当なんだろうか?

もしも、具体的に「本当は今あれをやりたいんだけどなー、これに逃げてる感がするなー、実はわかってる…むむむ」という時は、逃げてた自分を責めずに、

「あ、ちゃんと自分の気持ちと今向き合って、次に取るべき行動が今わかったところなんだな」って思えばいいだけ。

 

何をすべきかはよくわかんないんだけど、ソワソワする時、もしくは、しなきゃいけないことはわかってるんだけど、全然やる気が出ないし動けない時は、

「やらなきゃいけないのにできてない自分」にフォーカスするんじゃなくて、

「やらなきゃなー、“やりたい”って気持ちは本当なのに…できないくらい今疲れてるんだ」

「疲れてるって自覚はないけど、動けないってことは、なんかしらの休息が必要な時なんだ」って考えにフォーカスしてみるといいんじゃないかな。

って思った。

自分を責めない一歩。

 

たぶん、一般的な常識とは逆をいってるけどね。

でも、今までのやり方(一般的な常識)でうまくいってないんだったら、思い切って、今までの逆でやってみること。(※ぢんさんの教え)

怖いけどね、自分を甘やかすって。

ダメ人間になっちゃうんじゃないかって。

でもそれも、やってみないと本当にそうなるかどうかはわかんないよね。

 

みんな、もう十分頑張ってると思います。

なんなら、一生分頑張ったんじゃないかと思う。

だから、こっからは、もう全~然頑張んなくていいんじゃないかって思う。

 

頑張るのがめちゃめちゃ楽しいこと(自分の大好きなこと)に対しては、いくら頑張ってもいいけどね!