お金に対する考え方ヒストリー その2
なちこです。
これまでの人生での、自分のお金に対する考え方の棚卸しをしてみてます。
その1はこちら。
続きまして、中学・高校あたりの頃。
中学・高校の時のおこづかいは、
中1:月1,000円、中2:月2,000円、中3:月3,000円 だった。
そしたら、高校1年生になったら、もしや月10,000円!?と思いきや(いや、別に当時は思ってなかったけど)、
高1:月4,000円、高2:月5,000円、高3:月6,000円 だった・・・。
これねぇ、全っ然足りなかったよ。
だって、CDとかも買う年頃だし、ゲーセンも行きたいし、友達と買い物行ったりとかさー、誕生日プレゼント買ったりとかさー、ねぇ・・・。
でも、親に交渉しても無駄だとわかっていたので、頼みの綱はやっぱりおじいちゃんおばあちゃんだった。
親も、もしかしたらそっちの額込みで、この額にしてたのかもしれない。
祖父母も、私の年齢が上がるとそれに合わせてくれる額が増えたので、なんとか友達と遊んだり、古本屋で漫画を買ったりはできてた。
・・・けど、とにかく、服だよね。
未だにここは引っ掛かりがあって、ちょっとコンプレックスだったりする。
「服を買うにはお金がかかる」「ほしい服は手に入らない」
「私は(親の選んだ)着たくない服を我慢して着ないといけない」
「自分で買うにしても、すごく安くてダサいやつか、フリマで見つけたそこそこ気に入ったやつ(当然お古)しか、買えない」
こういう思い込みが、この頃に思い切り染み付いたし、未だに残ってる部分もあって、「服に使うお金」に関しては、まだまだパラダイムシフトしないといけない余地が多い!
好きな服を全然買ってもらえないから(お下がりや、親が勝手に買ってくる趣味の悪い服ばっかり)、服の買い方もあんまり身に付かなくて、中学生の時に一度、お年玉でダッフルコートを買ったことがあったんだけど(すごく勇気出して、新品のやつを!)、サイズが全然合ってなかったってことにしばらく気付かなくて、後になって「それ、男物?」って聞かれて初めてブカブカだったってことに気付いてめっちゃ恥ずかしい思いをしたこともあった・・・。
この話、人にほとんどしたことないな(そんだけ、自分の中で笑いに変えれてないってことかもな)。
そうだ、お年玉の話が出たので、お年玉について。
これって、日本人にとっては、お金に対する考え方が割りと現れるとこだよね。
うちは、よくあるパターンで、親が預かって、貯金しておくって感じでしたねー。
農家の多い地域なので、JAに・・・。
小さい頃は全部預かられて、中学生くらいになると、少しは使えて、残りは貯金へ、みたいな感じだったかな。
で、その後、その貯金はどうなったかというと、高校生になった時にPHSを買ってもらって、その月々の支払いに使われてました!(高3からはケータイになった)
でも、後になって母から聞いた話によると、途中で残高足りなくなって、母が定期的に足してってくれてたらしい。
ありがたやありがたや~(笑)。
なんか、自分がいかにお金のリテラシーなく育ってきたか、みたいなところを棚卸しするつもりで始めたんだけど、意外なところで、感謝の気持ちが出てきて、なかなかいい感じっすね!
その2を書いてて思ったのは、この頃、常に「もっとお金ほしいなー」「友達は、かわいい服とか鞄とか買えてていいなー」って思ってた気がするんだけど、その割りに、「やばい!今月もうおこづかいがない!ピーンチ・・・!!」みたいな切羽詰った状況には陥らなかった気がするんだよね。
それはたぶん、陥りそうになったらおじいちゃんちに行く(祖母は中3の時に他界)、っていう手でなんとかしのいでいたからのような気もするけどね。
そう考えると
「どうしてものピンチの時には、勇気出して頼めば、助けてくれる人はいる」
みたいな考えは、この頃からあったのかもしれない。
勇気出さなくても助けてくれる人がいると尚よかったんだけどねぇ・・・(笑)。
もらったおこづかいを、貯めておくっていう発想は、なかった気がする。
あったらあるだけ、使ってたな。
これは、ある意味今もそうだけど。
でも、ずっとそうだったわけじゃなくて、次の「その3」で書くけど、何か確固たる目的があれば、私はお金を貯めることは嫌いじゃないと思う。
必要に迫られないと貯めないってことかな。
それって、裏返すと、貯めてなくてもそこまで不安じゃないというか、ないならないでなんとかなるって信じれてるってことでもあるのかも。
あー、中学・高校時代のお金に対する考え方で、一番モヤっとしてたのは、「献金」だったかもしれない。
私は親に連れられてキリスト教会に通ってたんだけど、毎週礼拝があって、その中で、献金の時間があるわけ。献金袋が回ってきて、みんなそれぞれいくらか入れる・・・っていう。
特に、中3で洗礼を受けてからは、教会員として扱われて、月に一度、収入の10分の1を献金しましょう、みたいな特別な献金の日があったんだよねー(書いてて思い出したよ、うっわ!!)。
私は高校生だから、もちろんお給料なんてなくて、収入=おこづかいだったわけなんだけど、10分の1って・・・!
今考えてもけっこうな割合ですね。えぐい。
もちろん、信仰のもとに心からそうしたい人は、したらいいと思うけど。
なぜ自分がその時入れたい額を入れるんじゃなく、「10分の1」って、決められてるんだろう・・・(根拠は、聖書の中の言葉だったとは思うんですが)って、思ってた気がするな。
今でこそ、宗教法人の仕組みとか、お金の流れとか、客観的になんとなくはわかるけど、物心ついた時からその中にいて、そういう組織の仕組みとかは見えないように育てられて、信仰さえあればどうにかなるみたいな価値観で育った私は、そもそもなんで神様にお金を捧げる必要があるのかが疑問だったわ。
神様じゃん? 全知全能じゃん? お金なんか必要ないんじゃない?って。
ねぇ?
なんか、お金の話から、宗教の話になってしまいそう。
それはそれでまた別の機会に書くつもりだよん。
つづく