自分の内側にあるものを外側に出す場所
最近なんとなくわかってきたことがある。
私は、自分の内側にあるもの(考えや思い)を文章という表現方法で自分の外側に出すのが好きなのだが、
いったん出してしまうとけっこう満足してしまうみたいなのだ。
同じことを何度も書くのが得意な人もいるけど、私は今のところそうじゃない。
だから、「どこに書き出すか?」は、実は重要なのかもしれない。
「とりあえずここに書いておこう」と思って書いた場所が、結局その考えを書いた唯一の場所になる可能性があるってことだ。
日記、手帳、ブログ、モーニングページ、仕事のノート、Facebook、Messenger 、メール、お手紙、そこらへんのテキトーな裏紙etc. (Twitterやってた時もあった)
私の周りにはありがたいことにいろんな“メディア”があって、その時その時に書きたいと思った場所に書いている。
多くの人に読んでもらいたいと思ったら、日記や裏紙に書くよりもブログやFacebookに書く方が届きやすいのは明白なんだけど、一瞬で世界中からアクセスできる状態にするのに躊躇うこともあって、とりあえず紙に書いておいたりすることも多い(そして結局そのままになってしまうこともある)。
仕事でカウンターに座ってる時に書きたくなったら、とりあえずメモか仕事のノートに書いておくしかないし、モーニングページは自動書記みたいなもんだから(思い浮かんだままを書く)、書いてみて初めて「これは…!ブログにも書きたいぞ」って思うこともある。
今この記事もそうなんだけど、上手い着地点を思い描けないまま書き始めて、うーーーん…まとまらない…こんなんアップしてどうすんねや自分…みたいな気持ちになる時もある(価値ある情報を提供したいという気持ちがあるからこそだけど、それに縛られてるとも言える)。
たぶん、この記事に書きたかったことはひとつだな。
そして、もう書いた。
もう一度書く。
「とりあえずここに書いておこう」と思って書いた場所が、結局その考えを書いた唯一の場所になる可能性があるってことだ。
だから、たった一人でも自分以外の人に知らせたいと思うことなんだったら、やっぱりブログに書いた方がいいよ。
どんなに短くても。
前は、もっとブログに書いていた。
いつの間にか、自分の書いたものが世の中にどう影響するかが怖くて、躊躇うことが日常になって、書き控えるようになってる自分がいる(無意識に個人情報をさらけ出してないだろうかとか、無頓着に誰かを傷つけてないだろうかとか)。
「もしかしてやめておいた方がいいのかもしれない」と頭をよぎる時、疲れてるとたいてい結論は「今はやめておこう」になる。
そして、結局そのままになる。
世界は 実は 優しいよ。
突き抜けるには、自分を開く必要がある。
何か大変なことが起こったとしても、その時になってから考えればいい。
考えて、対処すればいいだけ。
大丈夫、死にゃーしない。
炎上だって、そこら中で起こってはすぐに忘れられていく。
書きたくなった時、
「これはどこに書こうか」
意識していこう。
いったん紙に書いておいて、あとでブログに写せばいいや(←自分はそれができると思ってる)とか、どんだけ現実見えてないねん(笑)。
絶対やらんし!(笑)
もう、「これを書くのは人生でここ1回きりかもー」くらいの気持ちで書いてこう。