遊びがいのある地球に生まれたね

なちこの頭の中を表現する場所。タイトルはいちおう短歌の上の句です。下の句は考え中です。

なちこのライフヒストリー その6 会社員・ニート・図書館員2007-2011

ライフヒストリー、つづきです。

最初から全部読んでくれてる人、ありがとう。

その7で終わる予定ですので、もう少しお付き合いください!

その1~その5はこちらー。

なちこのライフヒストリー その1 幼少期1983-1989 

なちこのライフヒストリー その2 小学校1990-1995 

なちこのライフヒストリー その3 中学校1996-1999 

なちこのライフヒストリー その4 高校1999-2002 

なちこのライフヒストリー その5 大学2002-2007 

 

さて、大学を卒業して、会社員になりました。

地元のIT企業で、未経験からのシステムエンジニア(つーか、プログラマやね)。

私がプログラミングを勉強したいと思ったのは、
「世の中、コンピュータで動いてるものはたくさんあるのに、その中で何が起こってどう動きにつながってるのかを私は全く知らない。知らなくても生きてはいけるけど、もしもその仕組みを少しだけでも知ることができたら、自分の見える世界は変わるのでは?」
って、思ったからなのね。

そしてそのとおり、システム開発の仕事をしてみたことで、世の中の見方は少し変わったと思います。
特に、それまで「これはどうしようもないことなんだ」と思っていたようなことが、実は「やり方か頼み方さえわかれば、どうしようもなくなんかないんだ」と思えるようになったのは大きかった。

でも、プログラマの仕事は私には全然向いてなかったわー。

知らないことを知るのは面白かったけど、狭い世界だったなーと思います。

所属していた小さな会社と、出向先の大企業の本社と、両方経験できたのはなかなか良かった。


クルーズを越えたつながりで、ピースボールの仲間たちとよく遊んでたのもこの頃。
毎週のように集まって、フットサルの練習したり、飲んだり。
みんなで車で出かけたりもしたなー。片思いしたりもして、けっこう青春だった!

同じクルーズの友達では、新聞局のメンツがよく会ってた。
(私はブッカーで、新聞はやってなかったんだけど、新聞局長と仲がよかったので)

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この方々は、別に顔出ししても何も言わなさそうだけど、まぁネット社会何があるかわかんないんで一応ぼやかしておきますけどw
この写真見て、関西の「タコパ」に当たるのは、関東ではもしや「餃子パーティー」かな!?と思った。
この人口密度(1Kに12人・・・!※撮影者含む)も、船仲間だからこそやな~って感じがする^^

 

2ヶ月に1回会えるか会えないかだったけど、遠距離恋愛もした。
もともと船に乗る前から友達だった人で、久しぶりに東京に出てきたその人に会ったら意気投合って感じで。

私は、仕事で疲れてた時だったから、誰かとそういう関係になれたことにはけっこう救われる思いだったけど、ちょっと依存気味だったから、メールの返信がないことにすごく不安になったりとかして、あんまり幸せな恋愛じゃなかったかもなーとか、振り返って思う。でも、経験としては、よかったと思う。

 

高校時代と大学時代のところで、姉のことについて書かなかったのは、思い出した時にそれが「実感」だからだと思う。
その頃には、姉がどこにも属さず、働かずにずっと家にいることは、あまりにも当たり前になっていて、特別何かを思わなくなっていたという感じ。

両親は、不登校が始まった当初は、怒ったり叱ったりなだめすかしたりして、なんとか学校に行かせようといていた(と思う)って、その2で書いたけど、それでも姉が行かないとなると、病院(精神科?)に連れて行ったり、フリースクール(?)を探して連れて行ったりして、とにかくあれやこれややってた氣がする。よく覚えてないけど。

両親は、ひととおり思いつくことを姉にやってみた結果、疲れちゃったのか、「すこし待ってみよう」と思ったのか、そのへんは知らんけど、不登校から数年後には、「もう何もしない」っていうスタンスになっていた。

ちなみに、その頃、私はまったくの蚊帳の外。
心配をかけまいと思ってたのか、話してもわからないだろうと思われてたのか、それとも心に余裕がなさすぎて完全に忘れられてたのかは知らんけど、とにかく、姉のことについて、私が何かを聞かされたり、聞かれたり、その話題の中に入れてもらったことは一度もなかった。

当時は、子どもだし、そういうもんかと思っていたけど、大人になって思うのは「そりゃないよ」って感じかな。
でも、まぁ、私も、中学生活・高校受験→高校生活・大学受験→大学生活・海外経験etc.で、自分のことでいっぱいいっぱいだったから、正直お姉ちゃんのことを自分事として考えるなんて無理な話だった(そりゃそうだ。ひきこもりのきょうだいは、まずはとにかく自分の人生を生きてほしいし、自分ばっかり幸せになっていく気がすることを、自分に許してあげてほしい)。

 

それが、就職して、実家にいる時間が増えて、たぶん気付いたら自分自身「大人」になってたのもあって、急に「あれ? このままではなんかやばいんじゃない?」って氣がしたんだったかな。
もしくは、ちょっと時間に余裕ができて「お姉ちゃんのことで、自分に何かできることがあるなら、やった方がいいかもしれない。家族だし」みたいな殊勝なこと思ったのかもしれない。

覚えてるのは、たまたま読んでたビジネス系の新書に、ひきこもりの訪問サポートみたいなサービスが紹介してあって、そういう事業があるってことも知らなかったもんだから「え!こんなのあるの!?これいいんじゃない!?」って思って、親に言ってみたんだよね。「何かしないと・・・!できることはあるはずだよ!?」って感じで。
正直、「親が死んだら私どうすればいいの?」っていう不安が大きかった。

結論だけ書くと、そのサービスを頼んでみることにしたものの、その過程で両親がいかに勉強不足かがわかって心底がっかりしてしまったのと、姉が訪問サポートに全く乗り気じゃなかったので(「どうせ金で雇われてるから来るだけなんでしょ!」っていう姉の拒絶の言葉は、いろんな情報を含んでいて、今考えると興味深い)、特に何の成果もなく、また元の生活に戻ってしまったんでした。

 

私は、そもそも仕事で疲れていたところに、その一件でさらに疲れ、「もう、この家にはいたくない」と思うようになっていた。

そう思わせた一番の要素は、日常的に繰り返される、姉と父の口論。

姉と父は仲が悪くて、ほぼ毎日口喧嘩みたいのをしているのね。
きっかけはいつも些細なことだけど、私が感じるに、姉が大切にしたいことを父がとりあわず、馬鹿にしたり無視したり軽く一蹴したりすることに端を発することが多い氣がする(それを見ていると、私も吐き気がしたりする)。

確かに姉は姉ですべてにおいて子どもっぽいのだけど(私も時にスルーしたくはなる)、だからといって、無下に扱うのはひどい。

姉が、小さな子どもみたいに泣き叫んで汚い言葉で父を罵ると、父もその言葉尻にいちいち反応して、やり返しちゃうんだよね・・・これが、本当に聞いてて苦痛だった。

馬鹿馬鹿しいのに、本人たちはいたって真剣で、毎日のように同じことを繰り返してる。それをほぼ毎日聞かされてみ? 頭おかしくなりそうになってくるよ。

 

結局、親に借りてた約200万円の借金を2年で完済して、その後1年で100万くらい貯めて(ボーナスあったからねー)、当初の予定どおり、会社は3年で辞めた。
最後の方は疲れ切って、若干うつ。


 
2010年4月~ 東京一人暮らし時代。

実家の居心地は本当に悪くて、とてもじゃないけどもういられなかった。
もともと一人暮らしがしてみたかったし、東京で暮らす経験もしてみたかったから、会社に所属してる間に部屋を探して契約して、「もう戻ってくることはない」くらいの悲壮感で実家を離れて(今思い返すとちょっと笑えるけど)、西東京市に引っ越した。


そっからは、本当に働きたくなくて、貯金と失業保険でしばらくニート

たまに友達に会ったりはしてたけど、基本的にはひきこもりな生活だったかな。

心が疲れていたから、何をするでもなく過ごす日が多くて、一日のうちで出かけたのが図書館だけだったって日もけっこうあった。
私にとって図書館は、やっぱり居心地がよかった。

そんな日々を過ごす中で、ある日ふと、ひきこもりについての本を読んでみようか・・・そういや読んだことなかったな・・・と思って読み始めたのね。
そしたら、なんと、あんなにめんどくさいと思っていた姉の氣持ちがわかってわかってしょうがなくて、本読みながらめちゃめちゃ泣いたんだよね。。。

そして、自分が「アダルトチャイルド」であることに気付いた。

姉と両親の関係がうちの家族の問題なのだと思っていたけど、そうじゃなくて、私自身と両親の関係にも問題があったのだ・・・と初めてわかった。
姉は、それを表現するためにひきこもりになったし、今も表現し続けているんだって。

人生の転換期その2って感じでした。

その頃読んだ本のリストはこちら↓

その後新しく出た本もたくさんあると思うけど、今でも参考になる本がたくさんあると思います。

 

2010年11月、全然働きたい気持ちにならないのに、お金が尽きてきて、働かざるを得なくなり、「んーー、ここなら万が一受かってしまったとしても、働いてもいいかな・・・」と思えたのが、新宿にある大学の図書館アルバイト。

受かっちゃいましてw、
生活費ギリギリの収入だったけど、人にも仕事にも恵まれて、働くリハビリにはいい環境でした。
図書館という世界の奥深さや、図書館学(図書館情報学)という学問分野があるということを知ったのも、この時だった。

 

その図書館で働いてる時に3.11が起こって、
生活が変わっていった。

 

その7につづく。