遊びがいのある地球に生まれたね

なちこの頭の中を表現する場所。タイトルはいちおう短歌の上の句です。下の句は考え中です。

「現実2.0」って何!?

高校・大学のライフヒストリーを書けたところで、
私がとても尊敬している高校・大学時代の同級生で、いつも素晴らしい示唆を与えてくれる須藤峻くん(峻ちゃん)のブログ記事を紹介したいと思います。

 

というのも!

たまたまこの記事読んだんだけど、
私が前に書いた「いまの私が、『世界』とか『人生』って何だと思っているのかという話」を、もっとわかりやすくシンプルに書いてるじゃーないかーーー!!!

って思ったので。

 

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さすがやわ!

「現実2.0」って言い方も、センスあるなぁと思います^^

 

 私が書いたのはこちらです。

なちこのライフヒストリー その5 大学2002-2007

ライフヒストリー、つづきです。

だいぶ長くなってきたね~。

その1~その4はこちら。

 

大学時代。

ちょっと長くなりそやな・・・。シンプルを目指します。

 

まず、大学入学からの半年間は、本当に暗かった(たぶん、鬱っぽかったかも)。

片道2時間半の電車通学と、慣れない大学生活、都会の空気。

高校の時から抱えてた、自分の信仰に対するもやもや。

ものすごく楽しかった高校生活が終わってしまった喪失感。

 

そんな中でも、高校の時から勉強したかった韓国語をとうとう勉強し始めることができたのは、すごくうれしかったなー!

語学のクラスでは、仲のいい友達をつくれたし。

 

クリスチャンサークルに入ったけど、いろいろ考えた末に、「自分はもう信じてないな」とわかって、1年生の夏休みにクリスチャンをやめた。

これを決心するのは、私にとっては、今後一切日本語を使わずに生きていくと決めるのと同じくらいの勇気が要った。それくらい、生まれた時からそこにあって、自分の生き方・考え方を規定してきた「真理」を根こそぎ捨てるような体験だったから。

その後もしばらく「これでよかったのか」と思ってビクビクはしていたけど、すっきりしたのは本当だったし、今は何も後悔してない。

 

国語学習にハマる。

大学1年の終わりに、韓国語学留学を決意する。

 

大学に入学したらすぐに、ピースボートの事務所(ピースボートセンター。通称ピーセン)に行って、ボランティアスタッフ登録をしたんだけど、最初は全然なじめず、駅からは学校と反対方向だったこともあってなかなか足が向かず、なかなか思ってたようには通えなかったなー。

「夢に向かって行動できてない自分」を責めて、更にへこんでた。

 

真面目に授業を受けすぎてて(要領よくできず、友達も少なく)、単位落とすんじゃないかって、本当に恐怖だった・・・。

 

高校時代の校内メル友Tは、進学した大学は別々だったけど、よく夜のドライブに誘ってくれて、どこに行くでもなくただ車を走らせて、また人生の話をしてた。

最初は、これって、恋愛に発展すんのかな?しなのかな?とか思いながら、でもたぶんお互いがそれを考えるのもめんどくさいと思ってた氣がする(それぞれに、恋人がいた時期もあったし)。

好きかどうかはおいといても、その関係をすごく大事にしてくれてたんだな・・・ってのは、もっとずっと何年も後になって気付いたんだ。自然にそうなったように思ってたけど、そいつが誘ってくれてなかったら、私から誘ったりはしなかったんじゃないかな。気付いた時は、ありがたかったなぁと思った。

 

大学3年の春に、韓国留学に行く時期とピースボートに乗る時期を決めたら、締切ができて、とうとうポス貼り(船賃割引を貯めるためのポスター貼り)に本腰を入れられた。

ピーセンに通い始めてからは、大袈裟だけど、「人生変わった」かもしれない。

それくらい、出会ったことのない種類のエネルギッシュな人がたくさんいた。

 

あと、大1の終わりくらいから地元の居酒屋でアルバイトしてたんだけど、そこになぜか、中3の時に私をふった男友達が新人として入ってきて(!)、それがきっかけでなんかいい感じになり(まわりにのせられた感もありw)、今度は向こうから告られて付き合うことに♡

人生初彼氏。

こんなこともあるんだな~としみじみ思った。

 

2005年の4月~9月まで、韓国・ソウルの高麗大学校付属の語学学校(オハクタン)に語学留学。

カルチャーショックもいろいろあったけど、充実した半年間だった!

まーソウルでなんとか暮らしていけるくらいには、身に付いたかな。韓国語。

それって、そんなに高いレベルじゃないけどもw

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私は遠距離恋愛のつらさはそんなに感じなかったけど(自分がしたくてした留学だったし)、クリスチャンだった時の思想の名残で、婚前交渉(結婚前のセ ックス)はすべきじゃないっていう価値観があって、だけどやっぱりしたい自分もいて、その葛藤が本当に苦しかった。

結局その彼とは、日本に帰ってきてすぐ別れてしまったんだけどね。

 

2005年9月に韓国から帰ってきて、人生初ルームシェア

ピーセンの近くに住んで、船賃の割引額を貯めるべく、とにかくポスターを貼りまくった(しかし全クリには届かず・・・残念)。

 

そして、2005年12月~3月。

大学を休学して、ピースボートの地球一周クルーズに参加。

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南アフリカ。ケープペンギンのコロニー。「うひょ~!ペンギンいすぎ!(笑)」

 

この旅を一言で表現するのは難しい!

その後の人生のすべてに影響を与えるだけの経験をして、
「人生は、楽しんでいい」ってことを知った旅だった。

会ったことのない種類の人に、たくさん出会った。

今までしたことのないことに、たくさん挑戦した(失敗や恥ずかしい思いも、たくさん)。

本音で話せる友達が、たくさんできた。

今も、もちろんその頃の友達とはつながってて、いつ会っても、まるで船の上に戻ったかのように話すことができます。

大好きな人たち。

 

船を降りて、ピースボートのスタッフになろうかと思ったんだけど、韓国留学その他で親に借金があったので、それを先に返しちゃおうと思って(&高学歴の新卒カード一応使っておこうかと思いw)、地元のIT企業に就職を決めた。

お金もらいながらプログラミングの勉強ができるのもおいしいなと思って。

とっとと借金を返して、貯金を貯めて、3年くらいで辞めて、また何か好きなことしよう!と思ってた。

 

その6につづく

 

なちこのライフヒストリー その4 高校1999-2002

 

ライフヒストリー、つづきです。

書くのは楽しいんだけど、エネルギーが要りますな。

勢いで書いたことに対して「それって書く必要あるか?」って自分でチェックを入れちゃうのも、何かもっと自分を表すエピソードがあったのでは?とか思い出すのも、ね。

もうちょっと氣楽に書こうかー。

そういや「60点で満足する」がこのブログの目標(?)だった。

 

その1、その2、その3はこちらです。

 

高校生時代は、けっこう青春でした!

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ルーズソックスも履いてたしw
(この写真は、文化祭でやったクラス演劇の看板の前で撮ったやつ)

ベリーショートの髪型も気に入ってた!

 

進学校で、自分よりも頭のいい人たちがたくさん集まってたのが、たぶんすごく楽しかった理由のひとつだろうな。

頭がいいって、科目の成績がいいってことだけじゃなくて(それも含むけど)、頭の回転が速いとか、アイデアを出す思考方法を持っているとか、そういう感じ。

けっこう自由な校風だったので、頭はいいんだけどおバカな遊びばっかやってる男子とかたくさんいて、毎日飽きなかったw

まだまだシャイな部分も残ってて、最初は友達づくりにも戸惑ったりしてたけど、とにかく人に恵まれた3年間だったから、自分がそこまで頑張らなくてもどんどん友達ができてった感じだったなぁ。


部活には入らず、「フットサル同好会」に入った。

マネージャーじゃなくて、プレーヤーね。

相変わらずサッカーを観るのが好きで。自分の好きなヒデやゾノが、ピッチの上で感じてる氣持ちの100分の1でもいいから理解してみたいなぁ~って思ってね、サッカーはちょっと無理だけどフットサルなら・・・ということで、当時流行り始めてたフットサルをやってみることにしたんでした。

とはいえ、かなり遊びのノリの同好会だったんで、昼休みに校庭でちょっとフットサルやるくらいで。大会とかもほとんど出た覚えがないや。

でも、部室になってた保健室は居心地がよかったし、後輩が入ってきてからは、お揃いのジャージを作ったりもして、すごく楽しかったなぁ~。


文系科目は得意、理系科目は残念、数学は悲惨・・・て感じの成績でした^^;

数学は本当に赤点ばっかり取ってた! 授業中に当てられて、わからなさ過ぎて、でも先生が許してくれなくて、泣いたこともある!w

特に好きだったのは、英語と地理(地理はほぼ常に学年トップをキープ^^)。

1年生と3年生の時に担任だった社会科の先生は、本当に恩師で、この先生のおかげで韓国に興味を持ったし、たぶん私が人生で初めて出会った「気軽にしょっちゅう旅に出かけるスタイルの大人」だったなぁ。授業中にも、旅の話いろいろ聞かせてくれた。
卒業してからは「友達」になり、高校時代のメンツで集まって飲む時には声かけてたし、今もたまに連絡を取り合う仲です^^

 

文化祭が本当に充実してたんだよね~。

私は入学してから知ったんだけど、うちの高校は、2年生と3年生はどのクラスも必ず演劇をやるのが伝統で(2年生は20分くらいのコメディ、3年生は40分くらいのドラマをやるクラスが多い)、それをやりたくてこの学校を選んだって人もいるくらいだった。

文化祭当日の廊下はさながらブロードウェイ、閉会式はさながらアカデミー賞授賞式。本当に盛り上がったし、思い出に残る文化祭でした。

私は、3年生の時に、友達と2人で脚本を担当した(といっても、オリジナル脚本ではなくて、既存の映画を短くリメイクするクラスがほとんど)。
今思えば、公に文才を発揮した最初の機会だったかもしれないな~。

 

高2で知り合った男友達Tとは、校内メル友みたいな感じで、受験勉強に対する疑問とか、人生に対する不安とかをよく語り合ってた(一度も同じクラスにはならなかった人)。
本音でいろんなことを吐き出すには、私にはやっぱり文字の方が合ってたんだろうなと思うし、同じくらいの根暗さの友達が必要だったってことなんだろうな。

受験勉強は、今までの人生で一番頑張ったことのひとつに挙げられるけど、もう絶対にしたくない努力のひとつにも挙げられるわーw

 

高校生クリスチャンのためのサークルみたいなのにも入っていた。
毎週、集会みたいのがあったんだったかなー。

そこで、普段ほとんど出会えない、他の教会や教団の高校生クリスチャンの友達ができて、クリスチャンって言ってもいろんな人がいるんだな・・・クリスチャンでもおしゃれとか恋愛とかしてもいいんだな・・・ブラックジョーク言ってもいいんだな・・・とかが実感としてわかって^^;、だいぶ楽になったような氣がする。

高校の友達を、サークルに勧誘してたりしたのは・・・今となっては黒歴史・・・w

そのサークルはけっこう大規模な団体で、本部が渋谷にあったので、本部のイベントに行くっていう口実でたまに一人で東京に出かけるようになったのも、大人になったみたいでうれしかった。

クリスチャンとして一番熱心に活動したのもたぶんこの時期だったし、同時に、キリスト教に対していろいろな疑問が湧き始めたのもこの時期だった。

 

そして、高校時代の一番の出来事はこれでしょう!

高3の夏に、コンビニに貼ってあったピースボートのポスターに出合い、資料請求をした。

届いたパンフレットを見て「これ、絶対行く!」と決めた。
ボラスタ貯めて、船に乗るぞ、と。

でも、大学受験があったから、すぐにってわけではなくて、大学に入ってからね。

その頃には、志望校もほぼ決まってたので、「高田馬場への通学定期券をGETすること」が、第一志望の早稲田に受かるモチベーションの半分以上を占めることになったw


周りの友達にも恋人がいる人が増えて、私も人並みにステキな恋愛に憧れてはいたけど・・・たくさん片思いをして、何回か告白もして、だけどひとつも実らず終わってしまった高校時代でした。

恋愛はほんとに苦手分野だった。ずっと自信がなくて「私なんかが・・・」って思ってたし。

中3の時にふられた男の子とは、高校が一緒だったので、いい友達だったけどね。

 

 

その5につづく。

 

なちこのライフヒストリー その3 中学校1996-1999

 

ライフヒストリー、つづきです。

これ、書くのけっこう楽しいな~w

その1、その2はこち

 

中学生時代。

 4つの小学校から集まってきた中学で、私は一番遠い学区だったので、ヘルメットをかぶって自転車通学してた。

部活は、ソフトボール部。友達が入るって言ったからじゃあ私も・・・ってのと、好きな人が野球部だからっていう、全然自主的でない理由w

そもそも運動にモチベーションがないし、弱小チームで試合にもほとんど勝ったことがないような部だったから(ヤンキーっぽい子のちょっとしたたまり場にもなってた)、練習もほんとテキトーで、「部活に打ち込む」みたいな中学生ではなかったなぁ。

テキトーな練習は、それはそれで楽しかったけどね。

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勉強は、英語と社会の授業が好きだった。国語もまぁまぁ得意だったはず。

音楽の授業で合唱するのも好きだった~。

美術の授業で、ゴッホの「糸杉」っていう作品をクレヨンで、上田薫の「生たまごB」を絵の具で、それぞれ模写した時は、めっちゃ楽しかった!

数学ができなさ過ぎて、初めて勉強で挫折を味わったのも中学生の時。

相変わらず、どちらかというと優等生体質で、学級委員とかやらされがちだったな・・・(自分から進んでやってたわけではない)。

 

1996年のアトランタオリンピックで、日本がブラジルに勝ったのをきっかけにサッカーに興味をもつようになって、その後ハマる。

ヒデ(中田英寿)、ゾノ(前園真聖)、ナラ(楢崎正剛)が大好きだった♡

まだ横浜フリューゲルスがあった時代。

姉と一緒に、ミーハーサッカー雑誌「Soccer ai」をキャイキャイ言いながら読んでたっけ。Jリーグの選手名鑑にマーカーで線引っぱりながら、テレビでJリーグの試合を見てたりしたなぁ。

中田ヒデは、生き方も含めていまだにファンです^^

 

ジュディマリが大好きで、中2の時に代々木第一体育館に行ったのが人生初ライブ。

 

教会にも引き続き通っていた。
教会学校と礼拝が終わったら自力で帰りたいので、自転車で行くようになった。
帰りに古本屋に寄るのが楽しかったこと楽しかったこと!

教会では子どもたちのリーダーみたいなポジションにされがちだった(中学生がほとんどいなかったから)。

子どもたちが近くの公園とか海岸とかに行きたがってるから、ちょっと連れて行って来てね、みたいな状況になることも多くて、めんどくさかったなー。

あの頃はよくわかってなかったけど、今考えるとけっこう責任重大じゃね?

 

よく覚えてないけど、ひょんなきっかけでエレキベースをGETした!

教会の先輩で高校生の女の子がいて、その子はアコギで、当時デビューしたばっかりのゆずのコピーをしまくっていて、私もギターに憧れてたんだよね。

でも、ちょっと触らせてもらった結果、ギターは難しい!指が痛い!とあっさり諦めモードに^^;

そこにやってきたベース。触ってみたら、思ったよりも面白いし、カッコよかった!

たぶん教会の人経由でもらったから?その後、賛美歌の伴奏とかに参加させられたりして、内心「ださー」と思ってたけど、誰かと合わせられる場所が教会しかなかったから、それはそれで楽しかった氣もする。

基本的には、スピッツとかブリグリとかのバンドスコアを買ってきて、家で一人でコピーして(CDに合わせて)練習して満足してたかな。

 

おばあちゃんが病気で亡くなったのは、たしか中3の時。
悲しかったし、いっぱい泣いたんだけど、今思い返すと、あれって本当の涙だったのかな・・・とか思うときもある。

「こういう時はこういう反応をするものだ」と自分が思っているイメージに合わせていたような氣もするんだよなぁ・・・。

 

高校受験は、けっこうがんばった。

まぁ当時の私としては、これを頑張らないで何を頑張る、みたいなものだったからねー。

志望校は、周りの人全員が「なっちゃんはもちろん小田高(地元の進学校)だよね?」みたいな感じで、なんか知らんけど勝手に決まっていたw

 

教会で洗礼を受けたのも、たしか中3だった気がする。

洗礼を受ける意味って何なのかとか、信仰ってなんなのかとか、よくわかってなかったけどね。そもそも、生まれた時から「これが真実だよ」って用意されて、「これが真実なんだな」と疑わずに育ってきたものを、改めて「信じます」って言うのは相当難しくないかな?

一応、受ける前に半年くらい勉強会?みたいのがあって、牧師からいろいろ教えられるし、意志の確認とかもされるんだけど、それもさ、優等生的なやり方でなんとなく乗り切れちゃうわけさ。そう考えると、どこにも本音のない会話が繰り広げられていたような氣もする。

ただ、大人に近づくにつれて、「教会員」っていうポジションを確保しておかないと、ここには居づらくなるみたいだぞ・・・っていう危機感みたいなものがあっただけだと思うなぁ。無自覚だったけど。

それでも、なれちゃう、クリスチャン。

 

中3の時にした恋は、けっこう印象的。
一緒に学級委員をやったことで近づいた男の子で、本当に大好きだった。

けっこう仲もよかったし、グループでよく一緒に遊んでたし、お互いジュディマリが好きで話が盛り上がったのもあって、私としては「これは、いい感じなのでは・・・!?」と思ってた。

1年間片思いし続けて、高校受験が終わったタイミングで告白したんだけど、ふられちゃってねー。しかも、後から、グループの中の他の女の子と付き合ってたって知って、けっこうショックだったなー。

しかし、この失恋は、大学3年の冬に思わぬ形でつながるのです・・・。

 

1998年のしし座流星群は、母が夜中に車で山の上の方に連れて行ってくれて、友達と一緒に見たなぁ。

いい思い出~☆

 

その4につづく

【イケハヤblogより】「怠け者なんていない」って考え方、いいね!

とうとうイケダハヤトのブログを遡って読み始めてしまいました!

とはいえ、もちろん全部読むつもりはなく、気になったタイトルを拾い読み。

 

さっそく好きな感じの記事を見つけたので、シェアしますね。

この人のブログは日時が表示されないから、いつ書かれた記事なのやらさっぱりなんですけど(戦略的にそうしてるんだろうな~。参考になります!)。

僕の持論に「やってくれないのには理由がある」というものがあります。

 

「怠け者」なんていないのでしょう。特定のことを怠けてしまうのには訳があります。周囲から怠け者だと言われているような人も、モチベーションをもって取り組める特定のテーマには、ハードワークをこなし素晴らしいアウトプットを見せてくれるものです。 

 

“やってくれないのには理由がある” “怠け者はいない”という考え方を僕は愛しています。

僕が受けてきた学校教育では、成績の悪い生徒に「怠け者」というレッテルを貼り、その本人も自分を「怠け者」だと思ってしまうような仕組みでした。

「怠け者」だと思ってしまった本人は、自律する心を傷つけられます。マッチョでない自分を責めます。「自分は努力ができない人間なんだ」と卑下してしまいます。 

 

“怠け者はいないんだ”という気持ちを持っていると、他人にも自分にも優しくなれます。より前向きに、自分が価値を生み出せるものを模索し、その熟達を志向できます。 

 

どうですか!これ!

私はすごく好きな考え方だよ!!

 

以前書いた「やる気」の話とか、

「自分ってほんとダメだな・・・」って思う時の話とか、

昨日の定点観測にも、

本当に、「やりたいことだけやる」「やりたいことしかやらない自分を許す」って、すごく勇氣がいるし(日常の、ほんのちょっとしたことでもね)、常に意識してないとすぐに無意識に自分を追い立てちゃうし、反省しなくてもいいところで反省してしまうし、罪悪感を感じる必要がないところで感じてしまう。

集中力とか、強い意志みたいなのが必要だよ。

そういう、実験中。

いや、練習中、かな。 

 って、書きましたけど、

このテーマって、多かれ少なかれ誰でも向き合ったことがあると思うんだよね。

モチベーション問題。

 

「強制的にやらされる環境に身をおかなければ、
 怠けてしまう(人としてダメになってしまう)に違いない」。

という、根深い共通認識というか、集団的思い込みというか、宗教というか・・・w

「ひきこもり」や「ニート」や「無職」の話題も、「生活保護」や「ベーシックインカム」の話題も、なんなら労働関係の話は必ずここにたどり着く、あるいはここを通過する氣がします。教育関係もそうかな。

もちろん、こういう場合の時も、あるとは思いますよ。人間だしね(むしろ、そういう場合は「疲れてる」とか「自分には向いてない」がわかるサインになったりする)。
でも、A=Bみたいに、絶対に常にそうなるってわけじゃないよね。

自分以外の人に対してこれを思う時には、教育や労働の行い方の押し付けになるし、自分自身に対してこれを思う時には、生活習慣の改善やら自己実現のための行動をおこさなければ・・・(それが人として正しい)!みたいなプレッシャーになると思う。

しんどいよね。

 

「(私自身が)やってくれないのには理由がある

「(私も含めてこの世界には)怠け者はいない

って、まずは自分自身に対して思うことを習慣づけられたら、見ている世界はもっとずっと優しくなっていく氣がします。

 

あとは、そもそも「怠ける=避けるべきこと」ってとこから変えちゃうとかね~。

怠け者~!? いいね!大歓迎!みたいな^^

努力ができるって、そんなに偉いことかねぇ~?みたいな文化を持つ国や地域も、世界にはけっこうあるんですよ。

↑大好きな辻信一さんが世話人をしている、ナマケモノ倶楽部!

 

なちこのライフヒストリー その2 小学校1990-1995

ライフヒストリー、つづきです。

その1はこちら。

 

小学生時代。

まーとにかくシャイだったなーと思う。

父親の知り合いの若いお兄さんがうちに泊まりにきた時に、お客さん珍しくて楽しいし、お兄さんもかっこよくて何かおしゃべりしたいんだけど、何を話したらいいかわからなくて、でも何を話したらいいかわからないなんて恥ずかしくて言えなくて、「ちょっと待ってて」とか言って自分の部屋に戻って、別にすることないからタンスの取手を触ってから戻ってくる(我ながら何してるんだろ・・・)ってことがあったのを覚えてます(笑)。 

 

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 「なっちゃんは頭がいいね」は、よく言われた。たしかに学校の勉強には苦労しなかった。クラスでも成績はいつも上のほうだったし。テストや宿題で嫌な思いをした記憶がほとんどない。

でも、太ってて、体型にコンプレックスがあったから、体育の時間は好きじゃなかったな。逆上がりは結局一度もできなかったし、走るのは常にビリだったし。友達につられてミニバスもちょっとやってたけど、ひたすらしんどくて全然向いてなかった。

まぁ、体型・シャイな性格・運動音痴のコンプレックスを、勉強ができることでカバーしていたとも言える。

 

ピアノを習ってた(これは高2くらいまで続く)けど、先生が厳しい人で好きじゃなくて、練習もほとんどせず、毎週教室に通うのが苦痛だった。。。

上手く弾くための練習じゃなくて、楽しく弾く方法を教えてくれる先生だったら、また違ったんだろうな。

楽譜を読めるようになったり、ソルフェージュ(音楽理論)の基礎は身に付けることができてたり、今でも簡単な曲なら練習すれば弾けるだけのスキルは残ってるから、習っててよかったなとは思うけどね。

 

姉が中学1年生から不登校(その当時の言葉だと「登校拒否」)を始めた。

私はその時小学3年生で、クラスが学級崩壊してたり、自分自身もいじめられてたりしたから、あんまりよく覚えてないんだけど。

ただ、姉は小学校の頃からちょっといじめられ気味だったし、私としては「そりゃあ・・・」みたいな気持ちもあった気がする。

親は、怒って、叱り付けたり、無理矢理連れてこうとしたりしてた気がするなぁ。

その当時としては、それが一般的な反応だったんでしょう。

その時家にいて自分が何を考えていたのかは、本当に思い出せない。

たぶん、つらかった。

 

初めて生理が来たのが小学4年生の時。

知識としては知ってたし、母から使い捨てのナプキンの使い方も教わったけど、けっこう戸惑った。

ちょっと汚い話で申し訳ないんだけど、最初の頃、使い終わったナプキン(もちろん月経血で汚れてるやつ)を、トイレのサニタリーボックスに捨てることができなくて、自分の机の引き出しの中に溜め込んでた(1ヶ月だったのか?2ヶ月だったのか?覚えてないけど)。

おそらく異臭がしてきて、母親にバレて、片付けられたけど(バレた時は、ちょっとホッとしたような気持ちだったかも)。

姉に向いていた親の気持ちを、自分に向けるための行動だったのか?

今でも思い出せる当時の私なりの理由は、「親がトイレ掃除をする時に、私の捨てたナプキンを見てしみじみ『あの子も生理が来るような歳になったのねぇ・・・』って思うのを想像したら、ぞっとするほど嫌だった」というもの。

あれは、何だったんだろう? 大人になりたくなかったのかな・・・。

未だに意味づけ仕切れない体験。

 

セーラームーン」と「幽☆遊☆白書」が大好きだった。

将来の夢は、フィギュアスケーターか漫画家。

でも、周りの大人からは「なっちゃんは、大きくなったら学校の先生になるんでしょ?」とか言われて、そうか、自分は学校の先生になるんだな、とかも思ってた。

自分をいじめから助けてくれた先生の影響もあったかな(今考えると、その先生も体罰とかしてたんだけどね・・・)。

 

本を読むのが好きになったのは、小学校の頃から。

絵本も漫画も読んだし、図書室に置いてある物語の本が好きで、いろいろ読んだ。

「チョコレートのたねあげます」っていう本がめっちゃ好きだったのを覚えてる!

チョコレートのたねあげます (現代の創作幼年童話 (3))これだ!

隣町の小さな図書館に通うのも好きだった。

親と一緒に本屋に行くと「好きな本をどれでも3冊買ってもらえる」といううちの独自ルールがあって、講談社のティーンズハートっていう少女小説の文庫レーベルは必ずチェックしてたな~。特に小林深雪さんのロマンチックな小説が大好きだった!

小6くらいになると、夢のひとつに小説家も加わった(これは今でも続いてる夢)。

 

小5の時に、「あだな禁止事件」。

たぶん子ども時代に一番わかりやすく理不尽だったこと。

旧ブログに書きました↓

 

小4~小5にかけて、一番仲のよかった友達がいた。

学校では、一輪車乗りながら「グルグル」の魔方陣を書いたり、家に遊びに行って掘り炬燵で「ハイスクールミステリー学園七不思議」見たりして、しょっちゅう一緒に遊んでたんだけど、けっこうキツい物言いをしたり、万引きしたものを自慢してくるような子だったので、次第にうざったくなってきてしまったんだよね。

で、ある日電話で話してる時に、今度一緒に買い物に行こうと言われて、私はつい「買い物くらいたまには一人で行けば!?」って強く言ってしまった(私は、小6で横浜とかまで一人で買い物に行くような子どもだったので・・・)。

そっから気まずくなって、結局中学生になっても元の仲には戻らずだったなー。

関係の修復方法も知らず。ほんと不器用だった。誰かに相談するってことも知らなかった。

 

初めて男の子に告白したのは、たぶん小6のバレンタインデー。

口では言えなくて、ラブレターを書いた。ふられちゃったけど。

この頃から、文面で伝える方が得意やったんやなぁ(笑)。

 

全学年1クラスずつの小さな小学校だったので、全員幼馴染みみたいな感覚だったんだよね。

「卒業したくないなー」って思ってたのを覚えてます。

 

 

小学校時代も、日曜日は母に連れられて教会に通ってた。

母が教会学校の先生だったということもあり、そもそも学校でも優等生キャラだったこともあって、教会学校でもずっと優等生な感じだったなぁ。

だってさー、子供向けの教材とかって、すぐに答えわかるようにできてるし、大人がどういう答えを言って欲しがってるかわかっちゃうんだもん。

形式的な茶番をやってるのか、私が表面的に言ってることを本気で信じてるのか、わかんない大人ばっかりだったなー。

そうそう、「子どもだまし」や「子ども扱い」がすごく嫌いな子どもだった。
だから、今でも、自分が子どもに接する時には「子どもだまし」や「子ども扱い」になってしまってないかにすごく気を遣う。

日曜日の午後は、母親は教会の奉仕活動で忙しくてかまってもらえなかったので、教会内でヒマをつぶすか、歩いて10分くらいのところにあるおじいちゃんちに行って時間を過ごしてた(教会は家から車で20分くらいのところにあって、自力では帰れなかったので)。

 

その3につづく

なちこのライフヒストリー その1 幼少期1983-1989

1983年7月2日生まれる。

 

生まれも育ちも神奈川県小田原市(・・・と言うことにしてるけど、実は生まれた病院は隣町なので、ちゃんとした占いとかしてもらう時に出生地を知らせる場合は、足柄上郡松田町って言う)。

2人姉妹の次女。姉は4つ上。

 父親は、中学校の社会科の教員(姉が生まれる前は、東京の出版社に勤めてたらしい)。

母親は、元中学の体育の教員で、たしか姉を産んだ時にはもう辞めてたとか。

母は敬虔なクリスチャンで、私はお腹の中にいる時から毎週日曜日は教会に通ってた。

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一番古い記憶・・・たぶん3歳くらい。母と一緒に山の中の畑に行って(山に土地がある本家から借りてたみたい)、母が畑仕事をしている時に、私は土で階段を作って遊んでたってことかな。段々畑みたいな感じで、二段になってる畑だった。

 

小さい頃は、どちらかというとおとなしい子どもだったと思うなー。

保育園では、粘土で何かをつくるのが好きだった。「お弁当」とかつくってた、そういえば。

紙芝居を見るのも好きだった。お昼寝と給食も好きだった。

こうして思い出してみると「友達と一緒に何かして遊ぶのが楽しかった!」みたいな記憶ってあんまりない。プールで泳ぐのも、ひとりが楽しかった。

園庭で「ゴレンジャーごっこ」をした時も、何が一番楽しかったって、なんとかレンジャーに変身する前の、「基地で何かの調査をしている隊員」風に、ジャングルジムの中を管制室(?)に見立てて、キーボードをカチャカチャ叩いてる真似をするのが、最高にカッコよくて楽しかったんだよー!!!(笑)

保育園の送り迎えの時に、ママチャリの後ろの席で風に吹かれるのも、とても好きだったなー。

卒園アルバムに書いた将来の夢は、「バレリーナ」。

 

姉がいたというのが大きいと思うけど、文字の読み書きを覚えるのは早かった方だと思う。

 

余談だけど、「1989年」って、自分の中でちょっとだけ特別な年だ。

なんでかっていうと、「1988」っていう数字を、その年を表す数字としてリアルタイムで見た覚えがないけれど、「1989」っていう数字は、リアルタイムで見ていた覚えがある。つまり、それまでにも目には映っていたはずなんだけど、その年に初めて「西暦」っていう概念を獲得したってことなんだろうね。

 

その2につづく